俺がそいつに出会ったのは、バイトが終わって店を出てきた時のことだった。
裏口のドアをいつもの調子で開けようとしたら何か堅いものに当たったから、無理矢理押して外に出て。
そしたら何か白い物が見えたんだ。
なんとか外に出て、ドアを閉めたら、真っ白な服を着た奴がうずくまって頭を抱えていた。
そいつの頭の上には金色の輪っかが浮かんでて、背中には眩しいくらい白い羽があった。
よく見たら全部薄汚れてたけど。
それで、そいつは足音か何かで俺に気づいて、決まり悪そうな顔をした。
俺はすぐに訊いた、お前は誰だって。
そしたらこんな答えが返ってきた。
「オレ?天使。見りゃ分かるだろ」


そいつ、自称“天使”は微妙に曇った夜空を指差して言った。
この辺をパトロールしてたら、あちこち飛び交ってる電波のひとつに足を引っかけて転んで、
ここに落ちてきたんだと。
汚れた空気を腹が膨れるほど吸ったから吐き気がするとも言った。
どこまで本当なのかは分からないけど、具合が悪そうには見えたから、
俺はそいつを裏口から店の中に入れようとした。
ところが拒否された。
「今は仕事中なんだ。悪いけどあんたの世話になってる暇はない」
天使は狭い路地に羽を広げて、俺の前から飛び去った。


俺だっていつまでもここに残る理由はない。
すぐそこに止めておいた自転車のチェーンを外してそれに乗った。
表通りに出て、信号を無視して、角を曲がって、角を曲がって、公園の前を通って、
そこで俺は自転車ごとよろけて倒れそうになった。
さっきの天使が道路のど真ん中でひっくり返ってたんだ。
俺が自転車を放り出して駆け寄ると、血だまりが見当たらない代わりに
頭の輪っかが粉々に砕けてそこら中に散らばっていた。
おまけにきれいな白い羽の上には車で轢いた跡がくっきりと残っていた。
それでも当の天使は無傷で意識もはっきりしていて、抱き起こした俺にこんな事を言う余裕さえあった。
「見ただろ?自分を愛してほしいって真剣な顔して求めてくるような奴でも、
 赤の他人なら平気で傷つけられるんだ」
何も見ていない俺にはそいつの言い分がよく分からなかった。


天使が立ち上がって、輪っかの破片を拾い始めた。
俺も手伝おうとしたけど、踏み潰されたら困るからと言って断られた。
しょうがないから自転車を置いたところに戻って、ハンドルを掴んで車体を起こして、
それから破片をかき集める天使を眺めた。
そいつは怒ってるとか悔しがってるとか言う様子は全くなくて、むしろ呆れてるようだった。
「あーあ、こんなになっちゃって」
細かい破片を一つ残らず拾おうとしているらしいそいつに、俺はそんなことになったいきさつを尋ねた。
「さっきまでこの辺に車が止まってたんだ。高そうな赤い外車がね」
天使は意外と素直に答えてくれた。
「運転席の男が助手席の女を口説いてる最中でさ、何かヤバそうな感じがしたからオレ、教えてやったんだ。
 どうせ虚しいだけの恋愛ごっこなんてやめとけってな」
集めた破片の山を片手で支えながら立ち上がると、天使は俺の方を向いた。
「そしたらどうなったと思う?いきなり車が急発進。ちょうど真っ正面に立ってたオレは、この通りだ」
金色の破片が天使の頭上にばらまかれた。
それはきらきらと散って、再び地面に戻る前に消えた。
「愛なんて信じちゃいけない。まがい物を掴んだら最後、何もかも簡単に壊れるんだから」


消えていく光に気を取られていた俺は、いつの間にか天使を見失っていた。


発表当時、友人の一人がこの話をいたく気に入っていた記憶がある。