[ Chapter3「路地裏の怪人」 - B ]

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 週が明けて、月曜日。
 昼休みを迎えた一年三組の教室で、まりあは同級生の女子生徒たちと机を寄せ集めて輪を作り、一緒に昼食をとっていた。
 彼女たちは顔を合わせれば雑談が始まり、その話題は尽きることがない。今日もいつものペースで話が弾む。中でも依子は惣菜パンを手に持ったまましゃべること十数分、それが食べ物であることを忘れているかのように握り続けていた。
 そんな依子の隣でまりあは聞き役に徹していた。口を挟む隙がないのは事実だが、それは話をしない理由ではない。転校生として注目される時期を脱した新生活二週目、彼女はこれから友達として同級生と仲良くなっていくために、みんなの人となりをより良く知ることを望んだのだった。
「そういえば、さっき沼田くんが話しかけてこなかった?」
「来た来た! なんか怪人がどうかしたとかって」
「私もさっき聞いた、でもあれって例の“裏庭”の話でしょ? 本当に信じちゃうなんてヤバくない?」
 顔を合わせては首を横に振り合う女子たちの中で、まりあは一人首をかしげた。直後、正面の席に座る幹子と目が合った。
「どうしたの?」
「あの、裏庭の話、というのは……?」
「そっか、雨宮さん、まだ教えてもらってないのね」
 幹子は自分の周辺、特に教室のドアの外を慎重に確かめてから、自分の学生鞄にしまっていた携帯電話を取り出した。そしていくつかのキーを操作してから画面をまりあの方へ向け、弁当箱の間に割り込ませるようにして、真っ黒な画面を差し出した。
「このクラスでみんなが“裏庭”って言うのは、これのこと」
 まりあが覗き込んだ画面には青い文字が詰め込まれていた。幹子の指先がキーに触れると、画面が下へスクロールされ、別の文字群が現れた。バスケ部の顧問への不満がかなり激しい言葉で書き連ねられている。まりあは思わず目を背けた。
「うちの学校の生徒だけが入れる掲示板。後で雨宮さんのケータイにもアドレスとパスワード送るから。先生とか親とか、とにかく大人には絶対内緒にしてね」
「そ、そうなんですか……」
 どうやら生徒たちにはそれなりの認知度と人気があるらしいが、まりあにはそれがあまり魅力的には思えなかった。本心を曖昧な笑顔でごまかしながら話の続きを求めると、幹子が話そうとした脇から、依子が割り込んできた。
「そうそう、それよ、それ。先週からそこで変なウワサが流れてるのよ」
 依子は断りなく幹子の携帯電話を手に取ると、それを勝手に操作し、同じ掲示板の別のスレッドを表示させた状態でまりあに渡した。
 まりあは先程の刺だらけの記事を思い返し、口の中に苦味を感じながら、画面の中身を読み始めた。
「怪人……ルシファー?」

 そいつは黄昏時の街角に現れ、通りがかった人間に質問をしてくる。真っ白な頭の男で、夏でも真っ白なロングコートを着ているらしい。その顔は誰も見ていないとも、仮面で隠しているともいわれる。
 質問に正直に答えれば、そいつはどこかへ去っていく。ただし去り際に記憶を消していくので、何を聞かれるのか、何を探し求めているのかを知るものはいない。
 しかし回答を拒否したり嘘をついたりすると、そいつは隠していた漆黒の翼を広げて本性を表し、答えなかった人間を殺してしまう。たとえ相手が逃げたとしても、恐るべきスピードでどこまでも追いかけ、その日のうちに標的を死へ追いやるのだ。

「これって……」
「ただのウワサっていうか、作り話でしょ、どうせ。小学生並みの頭で考えた妄想。十年前とか二十年前とかからある話だってレスも見たけど、それもどうだか」
 補足する依子の口調は冷ややかだ。触発されたように他の女子たちが次々と口を開く。
「でも沼田くんはすっかり信じきってるみたい」
「バカばっかり言ってるとは思ってたけど、あんなにひどいとは思わなかった」
「それがねぇ、今回は文化祭のネタ集めらしいわよぉ」
「ああ、そういえばそんなこと言ってたかも。ほら、オカルト同好会」
「じゃあしょうがないわね。どうせ無視だからいいけど」
 あれこれ言い合う同級生たちの話をなんとなく耳に入れながら、まりあは幹子に携帯電話を返した。
「文化祭、もうすぐなんですよね」
「そう、今月の最後の土日。沼田くん、このクラスの文化祭実行委員だから本当は忙しいはずなんだけど、部活の出し物の準備まで始めちゃって大丈夫なのかな」
 幹子が話し始めると同時に首も大きく回した。ちょうどまりあの背後を問題の沼田が、自分の悪口で盛り上がる集団がいることに気づかない様子で、足早に通り過ぎていったところだったのだ。
 まりあも視線だけで後を追ってみる。教室後方の出入口から男性らしき誰かが顔を出していたのがちらりと見えたが、沼田の退出に合わせて引っ込んでしまった。
「……山口さん。今の人は?」
「三年二組の和泉(イズミ)先輩。校内模試の上位の常連で、文化祭実行委員で、今年の合同劇の主役もやるのよ」
 説明する幹子の口調はどこか誇らしげに聞こえるものだった。
 まりあは先週依子から聞いた話を思い出した。
 季花高校の文化祭では、三年と一年から選ばれた各一学級が合同で古典劇を披露するのが、数十年来の伝統行事になっている。そして今年のくじ引きで栄誉に浴することとなったのが三年二組、そしてまりあが転入した一年三組だという。
 今年の演目はシェイクスピアの喜劇『ヴェニスの商人』。全五幕。貴婦人と求婚者の恋の駆け引き、そして求婚を手助けする商人と冷酷な金貸しの争いを描いた話だ。
 元が戯曲とはいえ高校生がその内容すべてを忠実に再現することは不可能に等しいので、文化祭では素人のレベルに合わせて翻訳・編集したバージョンを自分たちで作って上演するという。台本作りと配役は一学期のうちに済んでいて、今は三年生中心の出演者が進学塾通いの合間を縫って猛練習を、一年生が多数を占める裏方が道具や衣装の制作を、それぞれ進めているとのことだった。
「そういえば、雨宮さん、部活どうするか決めた?」
「え? まだ、ですけど」
「だったら決めるのは後回しにしてもいいかも。今は見学くらいならできると思うけど、せっかくだから文化祭でいろいろ見て考えるのもいいんじゃないかな、って思って。うちの文化祭、部活同士でかなり気合入れて集客競ってることでも有名だし」
「そんなに大掛かりな文化祭なんですか……?」
 途中入部者を受け入れる余裕なんかないと言いたげな口ぶりが想像を難しくさせる。困惑していたまりあは、突然後ろから肩を掴まれ、小さく悲鳴を上げてしまった。
 まだ触れている手の方を見たら犯人が判った。依子だった。
「まりあちゃん。和泉先輩からご指名よ。さあ行きましょ」
 依子の瞳の奥に炎が立ち上っていた。
 迫る顔の勢いに押されたまりあが椅子から腰を浮かせた瞬間、依子は待ちわびたようにまりあの肩を押し、そのまま教室の外まで連れて行った。
「先輩、連れてきましたっ!」
「ありがとう、堀内さん。それと、はじめまして、雨宮さん」
 やや乱暴に突き出されたまりあが顔を上げると、涼やかな笑顔が目に飛び込んできた。先ほど見かけた和泉先輩だった。
 昨日のテレビドラマで見た若手俳優の顔がまりあの脳裏をよぎった。とっさのことで名前は出てこなかったが、確か最近よくテレビや映画に出ている人だ。
「は、はじめまして」
「お食事中に突然呼び出してごめんね。今ここで沼田くんから、今度の合同劇でまだ役割をもらっていないって聞いたんだけど、間違いない?」
「えっと……」 依子から小道具作りに誘われた記憶がまりあを迷わせる。 「まだ……正式には」
「よかった。他に予定が入っていないなら、お願いしたいことがあるんだけど」
 和泉先輩がさりげない動作でまりあの手を取った。
「今日の放課後、予定を空けられないかな。劇の練習があるんだけど、もしよかったら、雨宮さんにも来てほしいんだ」
 まりあは口を開いた。しかし直後に依子のあからさまな悲鳴を耳にして、声を出すことを忘れてしまった。