[ Chapter10「怪人ハンターと賑やかしの記事」 - C ]

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「自分が何を言ったか分かってる?」
 まりあが放課後まで悩んだ末に沼田へ伝えた返答は、その日の日没を待たずに依子の耳へ届いた。以来、依子と仲間たちはあらゆる手段でまりあに危険を忠告し、考え直すよう勧めた。
「相手が本物かどうかも分からないし、もしホントに本物でも、沼田の妄想に付き合うって話なんでしょ? どう見ても怪しいじゃない! なんでOKしちゃったの!?」
「今から断っても大丈夫だよ。ね、私達と遊びに行かない?」
 級友たちの言葉に織り込まれた警戒や失望、軽蔑の色はまりあの心を揺さぶった。だが、まりあがそのことについて考えるたび、決まってまぶたの裏に浮かぶものがあった。
 頼み込んできた沼田の、机に額を擦りつける直前の姿。
 あれは真剣な思いで心からのお願いをする顔つきだった。
 そして純粋に怪人の存在を信じきっている目だった。
「あいつのペースに合わせてたらキリないよ。多分どんどんエスカレートするって」
 明くる日もまりあは教室で、メールで、何人もの友達に「悪いことは言わないから」と諭され続けた。しかし沼田の真意がどうしても気になってしまい、結局断ることができないまま、過ぎゆく時間を見送り続けた。

 そしてついに、指定された日曜日がやってきた。
 待ち合わせ場所は高校から最も近い駅のバスターミナルと決まっていた。そこにまりあが到着したのは、約束した時刻の十五分前だった。まだ沼田は来ていなかった。
 昼間と呼ぶにはまだ早い時間帯。冬の陽光の下、駅前広場を買い物客が行き交う。せわしない往来をぼんやり眺めていたまりあの前で、若い男女が互いの手を取り、抱き合った。
「あ……」
 いいな、と思ってから、まりあは自分もこれから男の子と会うことを思い出した。
 東京に越してきて三ヶ月と少し、そういえば異性との待ち合わせは今日が初めてだ。といっても残念ながら甘い要素がひとつもない約束なのだが。
(東京に来る前は……あのときが、最後でした)
 無意識に右手が胸元に触れ、首から下げたメダルを、その上に着ているブラウスごと握りしめていた。手のひらで感じる凹凸の感触は、表面に刻印された聖女の肖像だろうか。
(今頃、どこで、何をしているのでしょう)
「おっ雨宮さん発見! これより作戦開始であります!」
 バス停の先で大きな声を上げた人がいた。
 まりあは淡く色づいた記憶を心の奥にしまい直し、紙袋を抱えて駆けつける級友を丁寧な一礼で迎えた。
「もしかして待ってた?」
「いいえ、私も先程着いたところで……」
「よかった!」
 駆け寄ってきた沼田は息を切らしながらも、その苦しささえ楽しむように笑った。
 まりあの胸は少しも高鳴らなかった。
「例の人とはあそこの店で待ち合わせなんだ。もう来てるかも」
 二人はバスターミナルの曲線に沿って歩き、駅の向かいにある喫茶店へ入った。
 入口で声をかけてきた店員に沼田が誰かの名前を伝えると、店の奥、喫煙席の隅へと案内された。先客のいる席だった。
「こんちは! 沼田です!」
「あー、君かあ。イメージ通りだ」
 沼田の挨拶に応じて先客が顔を上げた。新卒の社会人がよく着るようなスーツをきちんと着込んだ若い男だった。その顔を見たまりあは、なんとなく人懐こい犬を連想し、怪しげな人物でないことにほっとした。
「そっちの子が、言ってた例の目撃者?」
「はい! 連れて来ました!」
「そっか。はじめまして、葛原(クズハラ)といいます」
 男が一度席を立ち、上着の胸ポケットに入れていた名刺を二人へ差し出した。カードには氏名だけでなく有名な出版社の名前、そしてこの面会の発端となった週刊誌のロゴが印刷されていた。
 まりあはぎこちなく、沼田は元気に挨拶を返してから、並んで葛原の正面に座った。空気が少し落ち着いた頃に店員が注文を取りに来て、三人分の飲み物を伝票に記していった。
「それで早速ですけど葛原さん! あの写真の話、お願いします!」
「これじゃあ、どっちが取材に来たのかわからないね?」
 先に本題を切り出したのは沼田だった。葛原は苦笑しつつ、テーブル上に出していたICレコーダーのスイッチを入れて、それから語り始めた。
 立てこもり事件が起きたあの日。先輩記者とカメラマンと共に現場へ駆けつけた葛原は、野次馬を避けながら現場が見える場所を探し、近隣のマンションの通路をうろついていた。しばらくして容疑者が確保されると、彼が捜査員に囲まれ非常階段を降りていく姿を見つけ、手持ちのカメラの連写機能で撮り続けたという。
「とにかく犯人の姿を押さえることだけ考えてたから、周りまでは見てなくてさ」
 沼田が懸命にメモを取る間に、写真がテーブル上に並べられた。どれも構図の中心は上着を頭から被せられた容疑者で、その多くは残念ながらピントを外している。しかしまりあの目を引いたのは、容疑者の少し後ろ、捜査員と一緒に階段を降りようとしている白ずくめの人物だった。
 白いコート、白い仮面。髪の色も濃くはない。何かを担いでいるように見える。
「後で読者から指摘を受けて、もうびっくり。その中に沼田くんもいたんだけど」
 はにかむ沼田にすかさず葛原が話を振った。
「しかも独自に“怪人”の調査をしているっていうじゃないか。実はこの前そいつの話を記事にしたとき、僕はインターネット上の噂しか拾えなくて、『全然中身がない』って先輩からすごく叱られたんだよね。こうなったらちゃんとした記事を書くしかない。っていうわけで、今日はいろいろ教えてもらいたいんだ」
「お任せください!」
 沼田は膝の上に置いていた紙袋から丸めた模造紙を取り出し、葛原の前に広げた。直後に店員が二人分のコーヒーと一人分のティーセットを持ってきたので、ソーサーとシュガーポットで模造紙の四隅を押さえることになった。
「これがオレのっていうか、うちの高校のミステリー研究会で作った、怪人ルシファーの噂についての調査結果です」
 紙には季花高校を中心としたニュータウン全体の地図、いくつかの表とグラフ、そして一枚のイラストが書き込まれていた。同好会が文化祭の出し物として展示した資料の一部だという。
 資料によると、白ずくめの怪人の話はこのニュータウンの近辺でだけ流行していた都市伝説だという。百名を超える卒業生への聞き取り調査で、最初の噂の発生が今から約二十年前であること、そして十年前にも一時期騒がれていたことが判明していた。
「ちょうど十年周期か。今年になってまた話題になっているのは、この写真の影響?」
「実は、話が出回り始めたのはそのちょっと前、二学期が始まったあたりからなんです。ここだけの話、最初はネットの掲示板の書き込みで……」
 沼田は聞かれた内容以上の情報をすらすら答え、葛原がメモをとる速度を無視して語り続けた。晴れやかな顔で語る様子を隣で見ていたまりあは、沼田が弁論大会のステージに立つ姿を勝手に想像しながら耳を傾けた。
 同好会の調べによると、街に怪人の噂が広がるのはこれで三度目だが、過去とは大きく違う点もあるという。沼田はインターネットの存在を例に挙げた。昔は主に伝聞で広がっていた物語は今、掲示板のスレッドやメールとして漂っているという。
「質問に答えないと死ぬとか、出会った奴の後ろめたいこと聞いてくるとか、超高速で追いかけてくるとか、どこにでも入り込めるとか。派生した話自体は意外に十年前と変わってないんですけど……」
 いろいろな具体例を紹介した後、沼田は「最大の変化」として、葛原が持っていた写真を指した。
「昔は噂だけだったけど、今回はこの通り! 奴は本当にいる、その動かぬ証拠がある!」
「なるほど」 葛原が写真のうちの一枚を手に取った。 「でも変な話、現場にいた人にいくら聞いても、『こんな奴見かけなかった』の一言ばかりなんだ。こんなに目立つのに」
「それですよ葛原さん! 直接会っちゃったらだいたい誰も覚えてないっていう!」
 もしも写真に紛れ込んだものが怪人に扮した人間なら、捜査員と明らかに違う格好で事件現場をうろついていたのだから嫌でも目立つ。そうならないからには神出鬼没と言われる怪人ルシファーその人に違いない。
 沼田はそこまでをまくし立てるように力説してから、冷め始めたコーヒーを少々苦しそうな顔で一気飲みした。そして。
「そしてですよ葛原さん。今回はさらに、その怪人ルシファーを直接、生で、リアルに、その目で見たっていう人がいる!」
 唐突に肩を叩かれ、まりあは反射的に身をすくめた。
 沼田の生き生きとした目が、葛原の興味深そうな目が、まりあに注がれていた。