[ Chapter11「彼と彼女と彼女の裏話」 - B ]

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 土曜日。午前十時。
 まりあは依子からのメールに従い、駅前のハンバーガーショップを訪れた。看板も内装も日本全国で見かけるおなじみのチェーン店だが、高校の最寄り駅の近辺にはそれが一店舗しかないので、場所を間違えていない自信はあった。
 最奥のテーブル席に少女ばかり十名ほどの集団がいた。依子を始め、まりあが教室で見慣れた顔ばかりが集まって、何やら盛り上がっていた。
「あ、来た! こっちこっち!」
 級友の一人が立ち上がって大きく手を振った。まりあは先に会釈だけ返すと、家から持参したクーポン券を使ってソフトドリンクを買い、それを持って友達の元に合流した。
「わざわざ買わなくてもよかったのに」
 ストローのついた紙コップを見た依子が笑った。
「ちょうど今日の新聞に折り込みチラシが入っていたので、せっかく行くならと思いまして」
「よく見てるねー」
 テーブルを囲うL字型のソファにはまだ少し余裕があった。先客が少しずつ奥へ詰め、ソファの端にまりあが腰掛けた。
 集まっていた友達のほとんどは手元に何も置いていなかった。テーブルの中央に一人分のフライドポテトが広げられていて、それを全員で適当につまみながらおしゃべりを楽しんでいたらしい。そして。
「……で、どこまで話したっけ。思い出した、そうそう、あのね」
 一人の口から語られ出した片思いの話が皆の注目をさらった。ついさっきまで盛り上がっていた理由は、最近通い出した学習塾に他校のかっこいい男子生徒が何人もいるという話題に誰もが興味を持っていたからだった。
 語り手は告白にこそ至っていないが、少しずつ相手との会話を増やしているところだという。周囲がはやし立てたり突っ込んだ質問を投げたりする中、まりあは黙って聞き役に徹した。その人のこんなところがカワイイ、と照れながら話す彼女の姿こそ可愛い。思っても口には出さない。
 そうして頬を緩ませながら相づちを打っていると、話し手の顔が急にまりあへと向けられた。
「ところでさっきから思ってたんだけど、まりあちゃん、あなたはどうなの」
「えっ?」
「好きな人」
 心臓が破裂寸前まで膨れ上がるように脈打った。
 まりあは口ごもり、胸元の定位置にあるメダルを服の上から握りしめた。その間に友達の視線が続々と集まり、どちらを向けばいいのかも分からなくなった。
「あれ、あの、えっと……」
「やっぱりサイガのことが気になる?」
 個人名が挙がった瞬間に鼓動の加速が止まった。
 どうしてここでその名が出たのか、まりあはすぐには分からなかった。
「違うの?」きょとんとした顔を見た依子が眉をひそめた。「中間テストとか文化祭とかで、結構気にしてたじゃない。サイガのこと」
 関わりがあったこと自体は否定できない。具体例として並べられた場面を思い出しながら、まりあは目を伏せた。
「それは……皆さんの様子が、気になったからです。西原くんは他の人とはなんだか違うというか、一見仲良しに見えても皆さんがどこか気を遣っているようだったり、わざと冷たく接しているようだったり、そんなふうに見えてしまって」
「……あ〜、分かる。ちょっと分かる」
 気まずい沈黙に流され駆けたテーブルを、さっきの恋バナの主が押しとどめた。補足スライスされたポテトの先端が無意味な曲線を軽やかに描く。
 級友に促され、まりあは話すことをためらっていた本音の続きを口にした。
「文化祭のときは皆さんの推薦で大役に選ばれていましたから、すごく優秀な人で皆さんから一目置かれているのかなと思っていたのですが、なんだかそれは違うみたいで」
「あっははは、違う違う、ぜーんぜん!」
 依子が腹の底から大砲を撃ち出すように笑った。つられてか同意してか他の友達も笑いをこらえなかった。まりあが首をかしげていると、比較的早く笑うのをやめた一人が無言の疑問を察して、それに答えてくれた。
「あの役は優秀とかそういうんじゃなくて、役と本人のキャラが合ってるって先輩方が言い出したから乗っかっただけ。冷たくしてるっていうのも別にないから。目つきは悪いけど話すと普通だってみんな知ってるし」
「本人が近寄るなオーラ出しまくってたときならあったけどねー」
「近寄るなっていうか必死すぎてイタいだけだったけど」
 フォローが途切れるなり、左右から別の意見が飛んだ。声量こそ落ち着いてきたがまだ笑っている依子は放置したまま、彼女たちはより具体的なエピソードを口々に語り始めた。
「やっぱ一番大きいのはあれじゃない。殺し屋、じゃなくて小森谷先生がサイガにしつこくつきまとってるのは、まりあちゃんも知ってるよね?」
「先生が朝、正門の前で西原くんに指導をなさっているところでしたら、何度か見かけたことがあります」
「そうそれ。でも今はマシになった方よ、一学期なんてサイガと一緒に来た友達まで怒られてたんだから」
 続けざまに飛び出す何人もの証言が、生活指導教諭と一人の生徒との因縁を織り上げていく。それはこんな話だった。
 サイガは中学生の頃から髪を染めるようになり、高校受験直前だけ色を濃くしたものの、合格後は明るい金髪に変えていた。そしてその状態で高校の入学式に現れた。イレギュラーな髪色は当然すぐ先生たちの目にとまり、入学初日から呼び出しを受けた。ところが本人は反省どころか自分には必要と主張し譲らなかったという。
 問題が解決しないまま翌日を迎え、全校生徒を体育館に集めて一学期の始業式が行われた。予定では続けて新入生歓迎会を行うことになっていたが、そこへ小森谷先生が割り込み、抜き打ちの風紀検査を宣言した。
「他の先生もポカーンとしてたから、抜き打ちっていうか、独断でやったみたい」
 学級別に整列した生徒が担任から頭髪や服装のチェックを受ける。ここまではごく普通だった。しかしその進行中、舞台から全体を監視していたはずの小森谷先生が突然段差を飛び降り、一年三組の列へ割り込んできた。
 あっけにとられる生徒、うろたえる担任の根本先生をよそに、小森谷先生は一人の肩を掴んで列から引きずり出した。誰より人目を引く金髪の男子生徒、つまり西原彩芽は抵抗もむなしく舞台上へ連行され、全校生徒の前に立たされた。
『いいか諸君! 大事なのは外見より内面だ、などという言葉を聞いたことがあるだろう。しかし! 外見とは自分で作るものでもある! すなわち内面の表れに他ならない!』
 小森谷先生は検査の途中にもかかわらず、よく通る野太い声で説教を始めた。しかもそれと同時進行で、捕獲したサイガを組み伏せた上、ポケットから何かを取り出して掲げた。
 小さすぎて生徒たちからは見えなかった道具の正体はすぐに判明した。先生は何やら言った後、それをサイガの頭に向け、黒い霧を噴射した。関節を極められ動けない生徒に黒色のヘアスプレーを浴びせたのだ。
 そして強制的に"普通の"髪色へ戻されたサイガに向け、小森谷先生は別の道具、一説には手鏡を突きつけて言った。
『見ろ、これがお前だ。頭髪なんぞを気にする暇があるなら現実を見ろ、そして内面を磨け。ここは義務教育じゃないんだぞ! 甘えるな!』
 体育館が不気味なほど静まりかえる中、顔やワイシャツまで染料まみれになったサイガはその場に横たわり、動かなくなった。見かねた別の教師に助け起こされてようやく舞台から下りられたが、そのとき彼の顔はひどく青ざめていたという。
 程なくして他の生徒たちの検査が再開され、通り一遍の指導は静かに終了した。新入生歓迎会を始める旨が改めてアナウンスされ、異常な空気は流れ去っていった。
 そのときだった――おかしな呼吸音が体育館の隅に反響した後、サイガが倒れたのは。
「……倒れた、って」
「あれよ、過呼吸ってやつ。当然すぐ保健室行き」
 正確には過換気症候群と呼ばれるものだが、語り手はあまり気にしていないようだった。彼女は心配が顔に出ているまりあに「だから四月の話だって」と付け加え、フライドポテトのつまみ食いを勧めた。
 友達の意見を別の友達が引き継ぎ、話は続く。
「しかもそれだけやられたのに、サイガ全然懲りなくて、次の日また金髪で来たからね。もちろん殺し屋はマジギレだったけど、それからあいつはずーっと知らん顔してる」
「えっ、それは、どういうことなのでしょうか」
「本人的にはとっくのとうに腹くくってたってことじゃないの。殺し屋の奇襲にはビビったかもしれないけど、それで心折れるほど軽い気持ちじゃなかったんでしょ」
「いいのよそれで」
 ずっと声を絞って笑い続けていた依子が、ようやく会話に戻ってきた。
「サイガもサイガだけど、始業式のあれは超ヒドかったし。あんな公開処刑あるのって感じ。それで先輩たちも先生もみーんなサイガに同情して、髪のことあんまり言わないのよ」
 まりあは二の句を継げなかった。