[ Chapter11「彼と彼女と彼女の裏話」 - D ]

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 ハンバーガーショップで騒いでいた女子高生一行は正午前に店を出て、駅前で合流した二名と共に近くのカラオケ店へと移動した。この店こそ今日の目的地だった。一行は店内の一番奥、最も広いパーティールームに通された。
 そして十五分後。彼女たちは誰もが知る短い歌を斉唱し、終わりにひときわ大きな声とクラッカーを放った。
「お誕生日、おめでとー!!」
 盛大な拍手、そして携帯電話のカメラのシャッター音を浴びながら、最奥に座る少女が白いケーキの上のろうそくを吹き消した。歓声が上がる中ではにかむ彼女は駅前で待ち合わせたうちの一人で、本日の主役だった。
 熱気と少量の煙が空調に呑み込まれる間に、友達の一人がケーキを切り分け始めた。他の少女たちはプレゼントを取り出し、代わる代わる主役に差し出した。
「おめでとう穂奈美(ホナミ)。これ、絶対似合うと思うから、つけてみて」
「見て見て、覚えてるぅ? 前にカワイイ、欲しいって言ってたでしょ?」
「みんなありがとう。ウチなんかのために」
 ヘアアクセサリーに文房具、コスメ、ストラップ。包みを開けるたび穂奈美の顔はほころび、あるいは声に出して笑った。
 そして最後に依子がマイクを差し出した。
「さあ、ここで本日の主役に一曲歌っていただきましょう!」
「えっウチが歌うの? 何を!?」
 突然のリクエストに慌てる主役が言い終えないうちに、今年の夏を盛り上げていたアイドルソングのイントロが流れ始めた。曲目が分かってからも「無理無理」と首を振り続けた穂奈美だったが、結局は慣れた調子で歌い出した。
 皆が歌に合わせて手拍子を始める中、まりあは数名と協力して、紙皿に取り分けられたケーキを配った。イチゴが挟まった定番のショートケーキの脇に、カラフルなアイシングが施されたミニケーキが一つずつ載っていた。
(これが堀内さんおすすめのお店のものですね。とてもかわいいです)
 ショートケーキはカラオケ店がプランの一環として用意したもの。そしてミニケーキの方は、依子たちが最近話題の店に朝早くから並んで買ってきたものだった。連日品薄で購入個数に制限があるため、人数分を揃えるためには一番乗りを狙うしかなかったという。
 そもそも今日の会を発案したのも依子だった。穂奈美が家庭内も含めて誕生日会をしたことがないと聞き、「じゃあ、やっちゃう?」の一言を短期間で実現まで進めたのだ。会場選びも役割分担も手早く決め、割引サービスや無料券を駆使して参加費を抑えた手腕は、何度思い返してもまりあを感心させるものだった。
「これ、はい、何歌うか入れて」
 すぐ隣の肘がまりあの脇腹を小突いた。マイクは穂奈美から隣の依子へ渡されたところだったが、予約用のリモコンは既にテーブルを半周してまりあの席まで届いていた。隣を見ると、既に予約曲を心に決めた目がリモコンを見つめていたので、まりあはすぐにそれを明け渡した。
「えっ、いいの?」
「私、歌はちょっと苦手なので」
「全然そんな風に見えないけど。ま、いっか」
 マイクのリレーが一巡した後は歌いたい人だけが予約を入れるようになった。手が空いた人は適当にリズムを取ったり、おしゃべりを始めたり、配られたケーキや店が用意した軽食をつまんだりした。特に行列の店のミニケーキはいち早く全員の皿から消えた。
「穂奈美、これからドリンクバー行くけど、さっきと同じでいい?」
 雑談していた穂奈美に別の方向から声が掛かった。すると本人より先に隣の依子が反応した。
「私のもついでにお願―い」
 すると便乗する声が次々と現れ、一人では抱えられない数になってしまった。提案者と目が合ったまりあは即座に立ち上がった。
「私、一緒に行きます。見てから決めたいので」
 飲みたいものを即決できなかったことは嘘ではない。だがそれ以上に、困り顔の友達に手を貸さずにはいられなかった。
 まりあは率先して空のグラスを集め、部屋の外へ持ち出した。受付脇のドリンクバーまで長い通路を進み、運んだグラスを回収用のかごに置いて、頼まれた飲み物を新しいグラスに注ぐ。それだけの仕事だった。
 ところが、まりあの手は途中で不意に止まってしまった。
 視線を感じて振り向いたのがいけなかった。見つけてしまったものに目を奪われ、他の何もかもを忘れてしまったのだ。
「ちょっと、何してるの? 聞いてる?」
「はっ、す、すみません」
 後ろから肩を叩かれ、まりあは呼びかけにやっと気づいた。まず自分の飲み物を入れるよう促されたので、空のまま持っていたグラスにアイスティーを注いでから、まだ不思議そうにしている友達に中断の理由を説明した。
「あれに気づいて、つい見とれてしまいました」
 受付の向かいの壁、店の入口からは目につきにくい位置に、一枚の油絵が飾られていた。
 庭園らしき場所にある泉の縁に裸の女性が腰掛け、両足を水に浸している。派手な色使いはないし、店の照明を浴びてもいない。だが描かれている白い肌には強い光を浴びたような、あるいは自ら光を発しているともとれるまばゆさがあった。
 中でもまりあを惹きつけたのは、やや前屈みの姿勢から正面へ向けられるまなざしだった。見る者を誘っているのか挑発しているのか、満ちあふれた自信と愉悦が、離れて見ているのにはっきりと伝わってくるのだった。
「あー、あれかぁ」
 納得の声と同時にまりあの手からグラスが取り上げられ、他のソフトドリンクと一緒にトレイに載った状態で戻された。飲み物を預けた友達はわざわざ絵のすぐ近くまで行って、何かを確かめると、まりあにジェスチャーで移動を指示しながら戻ってきた。
「西原陽介だね。サイン入ってた」
 彼女はパーティールームへ引き返す通路の途中で絵の作者を教えてくれた。
「有名な方なんですか?」
「んー、まあ、この辺では有名かな。うちの学校の卒業生で、何かの賞取ったり展覧会開いたりしてる人らしい」
「すごい方なんですね」
 きっと印象的な絵を何枚も発表しているのだろう。街角のカラオケ店の隅にひっそり置いてあるのがもったいない、などと思っていたら、
「でもあれよ、よく聞くのはだいたい悪い話」
 説明の続きは予想と全く違う方向へ進んだ。
「何かと怪事件に巻き込まれたり、その原因作ったりする"お騒がせ男"なんだって。うちの学校に通ってたときもいろいろやらかして、今でもその伝説が語り継がれてる」
「……すごい方、なんですね」
 まりあが気の抜けた相づちを打つ間に、ふたりはパーティールームの前に着いた。先を歩いていた友達がドアを開けると、カラオケの音楽はなく、楽しく話す声だけが流れてきた。
「おかえりー。今ね、穂奈美の初恋の話を聞いてたとこ」
「ちょっ、ホントやめて。ウチの話なんてたいしたことないから!」
 本日の主役が両側からゴシップ記者役に密着され、真っ赤な顔でマイクを振り払おうとしていた。まりあたちが追加注文の飲み物を配る間も攻防は続いたが、結局穂奈美の方が折れる形で落ち着いた。
「ホントに面白くない話だからね。……あのね、ウチが小三の時の話なんだけど」
 隣の学級の男子に気になる人を見つけた。気づいたらその子ばかりを目で追っていて、好きなものなどこっそり探ってみたりもした。ところが。
「その年の秋ぐらいに、クラスでいじめがあって。その子も加害者の一人だったってわかって、なんか急に冷めちゃった。告白するときなんて言うかまで考えてたのに」
 残念がるため息のコーラスが室内に響いた。話を振った依子は「その次は?」と話題の転換を試みたが、フォローの効果は得られなかった。
 そんな中、テーブルを囲む別の友達が、別の切り口を持ち込んできた。
「確か穂奈美ってキノベ小だよね。もしかしてそれ、あの集団インフルの事件?」
 異口同音の「えっ?」の後、全員の視線が集まる中、穂奈美は気まずそうにうなずいた。聞いた方は穂奈美に謝ってから、話にピンときていない顔のまりあたち数人に向けて説明した。
 小三のある学級で一人の児童がいじめに遭った。初めはいたずら程度だったが次第にエスカレートし、ついには学校の外で暴力が振るわれるに至った。
「そしたらそこに被害者の親が来て、いじめの現場写真撮りまくって行ったんだって」
 行為そのものを止める様子はなかったらしい。「ひどい」と誰かがつぶやいた直後、
「それが金曜日で。次の月曜日になって、写真撮られた子が全員同時にインフルエンザで休んだの」
「ぜ、全員?」
「被害者も含めて、全員。で、現場にいなかったけどいじめに参加した子、見て見ぬふりした子や何もしなかった担任にもどんどん感染して、あっという間に学級閉鎖。関わってない子だけなぜか無事で。みんな引いちゃって、それからいじめは一切なくなったの」
 少女たちは一様に沈黙し、意味のない目配せを繰り返した。
 ただ一人、先ほどドリンクバーから戻ってきた友達が、一緒に行ったまりあにささやいた。
「その写真撮りまくった親っていうのが、さっきの絵を描いた人ね」