[ Chapter15「Remember It」 - B ]

back  next  home


 元日は多くの神社仏閣が普段以上に賑わう。それは名の知れた寺社に限らない。町の中や丘のふもとにたたずむ小さな神社でも、近隣の人々が初詣に集まり、朝から列をなすのだ。
 そんな「地元の」神社のひとつを、ウィルは看護師たちに引っ張ってこられる形で訪れていた。柳医院から歩いて十五分ほど。初めて足を運ぶ場所だったが、急な石段を包み隠すように茂る木々には既視感があった。
「お昼過ぎたしそろそろ空いてるって言ったの誰? 外まで並んでるじゃない」
 石造りの鳥居の手前に行列ができていた。その先頭が鳥居をくぐって中へ入っていくのを見たあと、三人が列の最後尾につき、ウィルもそれにならった。
「こんなに混むなんて思いませんでしたねー」
「結局みんな考えることは同じだったのかも」
 ウィルは勝手な憶測に耳を貸さず、周囲を見渡した。家族連れも二人組も同年代の集団も、他より頭一つ高い男に気づくと振り向いたり足を止めたりしている。
 無駄に人目を引く事態はできれば避けたかった。しかしこの時間帯の外出は誰の要望でもなく、酔い潰れた三人が朝を迎えてもなかなか起きなかった結果こうなったに過ぎない。つまりどうしようもなかった。
「ちょっとウィルくん、怖い顔してるけどどうしたの」
 行列が少しずつ進み出した。年長の看護師が前へ進みながら振り向き、居候の脇腹を指先でつついた。
「こんなに人がいっぱいいるのが珍しい? 秋祭りの時ほどじゃないと思うけど」
「そういえば秋祭りのとき、ウィルくん確か検査入院してませんでした?」
「懐かしい話出てきましたねー!」
 そこから三人はあの酷暑の日にまつわる話、つまりウィルを迎え入れたいきさつとその裏話について楽しく語り始めた。石段を一つ登るたび、誰かがエピソードを思い出しては改めて共有し、そして笑った。
 当事者であるはずのウィルは移動する足だけを三人に合わせ、行列の先を見上げた。
 急斜面に沿って造られた古い階段はステンレスの手すりで左右に分断され、その片側だけが上を目指す人々で埋まっている。しかしもう片方を使う人間は少ない。慎重な足取りで降りる人、何を急ぐのか駆け上がる人、共に数えるほどしかいなかった。
 さらに見上げると常緑樹の枝振りが目についた。石段の始点から終点までを覆うアーチの中程に、一羽のカラスが降り立つところだった。
 そのカラスが行列を見下ろして鳴いた。
『やァ、来てくれたかお兄さん』
 紛れもなく夜明けの屋上で聞いたダミ声だった。
 ウィルは驚きつつも冷静に声を聞き分け、それが人間の耳に届く音ではないと確信した。
『いかにも物見遊山のガイジンっていう感じだ、見つけやすくていいねェ。ところで参拝の作法は教わった?』
「参拝の作法……?」
 思わず復唱してしまった方の言葉は前後左右の人間たちに聞かれていた。ここへ彼を連れてきた三人が顔を見合わせ、「どうやるんだっけ」と意見を持ち寄り始めた。
 頭上のカラスが頼りない人間たちをからかうように鳴いた。
『ここに来たからには、といいたいところだけど、拝んでくれなくてもいいや。とりあえず形だけ真似してそれっぽく済ませちゃって。お兄さんには最初からド偉い主(あるじ)様がいらっしゃること、ちゃんと知っているから大丈夫。形だけでいい』
 行列が進むごとにカラスがいる枝はウィルから遠ざかっていく。しかし鳥の方が枝を移ったり飛び去ったりといった動きは起きなかった。
 ウィルが何度も振り返っていると、急に袖を引かれ、看護師たちの会話の輪に連れ戻された。三人分のうろ覚えを持ち寄ってようやく回答案がまとまったらしい。
 賽銭を箱に投げ入れ、大きな縄についた鈴を鳴らしてから社殿に頭を下げ、手を二回打ち鳴らしてまた頭を下げる。このとき新年の抱負を心の中で誓うべし。
「……それが、作法なのか」
「多分こんな感じだったと思います。でも何か忘れている気もするんですよね、前の人の動きを見たら思い出すかも」
 なんとも頼りない説明を聞かされるうちに、彼の前にいた人々が大きく移動した。石段の最上段がようやく姿を現した。

 見よう見まねで参拝の真似事を済ませたウィルは、社務所の受付に並ぶお守りの数々を眺め、それから看護師たちの強い勧めに押されておみくじを引いた。彼の結果を覗き込んだ三人は揃って、引いたくじを結んでくるよう進言してきた。
「悪くない結果もあるけど、『失せ物出ず』で『待ち人来ず』はダメでしょ」
 低木の周囲に張られたロープに白いくじが鈴なりに結ばれていた。ウィルもそこに一枚を加え、風の匂いにつられて顔を上げると、さっきのカラスが近くの小屋の屋根から境内を見下ろしていた。
「何故、俺を見る?」
 周囲の人間の注意を引かないよう控えめに発した言葉を、カラスは難なく聞き分けたらしい。楽しげに答えた。
『そりゃァ、気になるからさ。院長先生の倅(せがれ)とはちょっと縁があってね。あの子がやけにお兄さんのことを気にかけているから、どんなものかと思ったのさ』
「重孝が……?」
『本当に良い子なんだ。どうか仲良くしてやってくれ』
 直後、砂利を踏む足音から逃げるようにカラスが飛び去った。よろしく頼むよ、という最後の声はウィルでさえかすかにしか聞き取れなかった。
「ウィルくん、うまく結べました? そろそろ帰りましょう」
 彼に呼びかけてから三人が向かった先は、拝殿脇から林の中へ入っていく下り坂だった。社の正面にある石段よりも勾配が緩やかで、帰り道にはこちらを使う参拝客がほとんどだという。
 前を行く集団のペースに合わせてゆっくり歩きながら、ウィルは何度か道の左右に並ぶ木々を見上げた。こちらへ関心を向けてくる気配は、すぐ隣を除けば感じなかった。
「さっきからどうしました?」
「……重孝も、ここに来たことがあるのか」
「もちろん!」
 ウィルは気合いの入った即答に驚き、それから自分が口走った内容にも少し驚いた。しかし、問いに答えてくれた年若い看護師は何も気にしない様子で話を続けた。
「毎年みんなで一緒に初詣をするんですよー。朝集まって、院長の手作りおせちをいただいて、それからここに。今回はしょうがないから、院長と重孝くんの分も私たちで」
「でも、シゲは帰ってきたら一人でもここに来るんじゃない?」
 後ろを歩く年上の同僚に口を挟まれ、後輩とウィルは一緒に振り向いた。最年長のベテラン看護師が三人分の目配せを受けて話を引き継いだ。
「重くんにとって、ここは特別な場所だから。ね、ウィルくんは、神隠しって知ってる?」
「神隠し……」
 耳で捕らえた瞬間に彼は言葉の意味を得た。
 子供が突然失踪すること。特に神や妖怪――すなわち物質界と重なっている霊的領域から生じた存在――の関与が疑われる事例を指す。
「あの子は七歳の時、ちょうど今から十年前ね、一人で遊びに出かけたまま行方不明になったことがあるの。夜になっても帰ってこないから、院長がすぐ警察に知らせて、近所の人たちとも一緒に探したけど見つからなくて」
「えーっ、それって誘拐ですか?」
「分からない。脅迫の電話や手紙も来なかったし、手がかりも目撃者もなかった。でも一週間後に突然、本当に突然、この神社から『見つかった』って連絡があったの。さっきお参りした拝殿の前に座って、震えていたんだって」
 そのとき重孝は多少弱っていたものの怪我はなかった。しかし警察や親には家出の疑いを否定しただけで、誰に連れ出されたか、どこにいたのかは一切語らなかったという。
「それからなんだって、シゲが今みたいに無口な子になったの。あと前髪切られるのを嫌がるようになったのも」
「だから重孝くんってあんな目に悪そうな髪型なんですかー……あっ」
 先頭を行く後輩が突然立ち止まり、道から外れた方向を指した。数歩とゆかずに追いついたウィルも足を止めた。
 そこは枝葉が重なり合う天然のフェンスが途切れ、神社を囲む住宅地の一部を見ることができる場所だった。そして真っ直ぐ伸ばされた人差し指が示す先には、彼女たちにもウィルにもなじみの建物が含まれていた。
「見えます? うちの医院の屋根と、院長たちのおうち」
 ウィルは鳥居をくぐる前に抱いた既視感の根拠を得た。
 家の屋上から見渡せる景色の中に、密集する住宅に囲まれた小さな緑の山があることを、彼は確かに知っていたのだった。