[ Chapter15「Remember It」 - C ]

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「補習を受けに来た訓練生ねえ。初めて聞く話だ」
 男がワインの栓を手際よく開けながら、ウィルを横目でちらちらと見た。
 その発言に誘われる形で、同じテーブルを囲む男女からも視線が注がれる。しかし少なくともウィル本人から見て、彼らの表情はあまり好意的とは思えなかった。
「で、いつまで?」
「課題をクリアするまで帰れないそうだよ」
「なんと! いったいどなたの逆鱗に触れたらそのようなことに」
「えー、それのどこが懲罰に見えるの。半人前にしては待遇良すぎない?」
 彼らが持つグラスにワインが注がれていく。そのボトルが巡ってくる前に、誰かがウィルの手にジュースの入ったマグカップを握らせた。
 宴の準備が着々と仕上がっている。
 自分の立ち位置が少しずつ浮き彫りになる。
「そろそろ飲み物が行き渡りそうですね。リーダー、皆様に一言お願いします」
 年が明けて三日目。ウィルは年末に一度訪れたひなぎくの自宅に再び招かれていた。
 彼女の自宅とはすなわち、このニュータウンを管轄する守護天使(ガーディアン)の拠点の一つだ。そこで催される新年会の列席者は二十名ほど。もちろん全員が天の軍勢に連なる兵士たちだった。
 下は小学生から上は老人まで。中には人間以外の動物もいた。顔ぶれはこの家の住人だけではなく、他の拠点から招かれた者、各地を巡回する途中で立ち寄った者もいるという。
 その少なくとも一部、下手するとほぼ全員が、訓練生を見下しているらしい。
「揃ったようだね」
 ひときわよく通る男の声が全員の発言を一瞬で止めた。
「ここに集う者は皆、違う職務や使命を背負っている。しかし皆が同じ主を戴く同胞だ。そこに優劣はない。今日は一年の節目を共に祝い、喜びを分かち合おう」
 乾杯の言に合わせて同胞が一斉にグラスを掲げた。
 わずかに出遅れたウィルに何らかのまなざしを向けてくる者はいなかった。

 宴が始まると、引いた波が寄せてくるようにざわめきが戻った。やがて遠方から訪れたうちの一人が誰かから旅の話をせがまれ、語りが始まると同胞の大半がそちらに耳を傾けた。
 ウィルも話を聞きつつ、先輩に席を譲るふりをしてテーブルを離れた。誰の目にもとまらない位置を求め、テーブルを囲む輪からはじき出されたように放置されたスツールを見つけると、そこに落ち着いて一息ついた。
 聞こえてくるのは広い世界の情勢と、諸国の住民が織りなす日々の営み。
 群がる聞き手は、街で見かける人々と大差ない顔をした集団。しかし誰の目を見ても、表を歩く人々にはない、燃え盛る輝きがある。
 この物質界に送られる前、訓練学校で嫌になるほど接してきた、その輝きは――
「隣、いいかな」
 横から掛けられた声が記憶の浮上を阻止した。
 乾杯の音頭を取っていた人物が、ウィルのすぐ横に同じスツールを置こうとしていた。近辺に住む人間から穏やかさだけ抽出したような地味でおとなしい顔立ちだが、その目には確かに他の同胞と同じ輝きが宿っている。そして軽蔑も優越感もにじませない晴れやかな笑顔は、皮肉や揶揄よりも強く訓練生を圧倒し、断る隙を与えなかった。
 しかも、その人物が隣に腰を下ろす姿を見ていたウィルは、重大な事実を思い出していた。
「君とこうやって話すのは、あの高校での事件以来になるね」
「その節はどうも」
 事件とはつまり補習の発端。一介の訓練生が実地見学中、上の指示も規則も無視して落伍者と交戦し、そこに巻き込まれた人間をプールに転落させた件。
 当時いち早く現場に駆けつけ、ウィルを訓練学校に送り返したのが、このリーダーだった。
「クリスマス会での活躍はひなぎくから聞いたよ。子供たちがとても喜んでいたそうだね」
「……はあ」
「そこは素直に『ありがとう』でいいところじゃないか。……いや、それどころじゃなさそうな顔だ。何か気になることでも起きたのかな?」
「いや……」
「では当ててみよう」
 気になること、と問われて脳裏をよぎるものは一つあったが、ウィルはその話を出すことをためらった。しかしリーダーは思惑を見透かしたかのようにキーワードを並べ、それに対する細かな反応をすくい上げ、最後には見事に白状させてしまった。
「神社のカラスか。ああ、知っているよ。でも向こうから話しかけてくるとは珍しい」
「そうなのか……」
「我々も彼らも霊的素子によって成り立つ存在。物質界に影響されて生まれたか、その外から来たかというだけで、本質にはかなり近しい部分もある。でもやはり『違う生き物』なんだろう、彼らの種には我々を煙たがる者が多いと聞くよ」
 ウィルは昨日の記憶をたどり直してみた。
 少なくとも敵意として括れるものは感じられなかった。子供が珍しい虫を見つけてしげしげと眺めるような、好悪が定まる前の眼差しだったと言えなくもない。
 だが、それだけではなかった。
「それで我々のお隣さんは君に何を言ってきた?」
「重孝と……俺を拾った家の人間と縁があるから、興味を持ったと」
「なるほど。わざわざそんな言い方をするということは、ただ自分の領民だと主張したいわけではなさそうだ。個としての思い入れか、過去に接触があったのかもしれない。ああいう土着の霊は執着心が強いと言うから」
 思い入れ、と復唱したウィルの脳裏を言葉がよぎる。最後の「仲良くしてやってくれ」の意味とは。しかし抱いた疑問は声に出される前に吹き飛んだ。
 何人もの列席者がいつの間にかウィルたちを囲むように座り、あるいは立ったまま、リーダーの推測に耳を傾けていたのだ。何かへの期待の目線や、聞き手の中にひなぎくの姿があることには驚かなかったが、彼らの接近に気づかなかったことをウィルは密かに恥じた。
「でもそれは君が浮かない顔をしている理由とは少し違うようだ」
 リーダーの目元にわずかな陰りが生じた。
「気になるのはやはり、課題のことかな」
 今度の指摘はウィルの心に刺さるものではなかった。が、
「分からんでもない。お前がこの街へ遣わされた理由や目的には、我々からしても理解できないことばかり並んでいる」
 近くのソファから、壮年の男の姿をした同胞が口を挟んできた。短いトゲを山ほど突き刺すような言葉に気を取られた瞬間、ウィルは己の未熟さを思い知った。
「まあまあ」すぐにリーダーが仲間をなだめようと声を掛けた。「今回はいろいろと特殊な条件が重なっている。一筋縄ではいかないよ」
「でもさ、もともとオマエがやらかしたことを償いに来てるんだろ?」
 次なる横やりはウィルの背後から現れた。少年なのか少女なのか、判断しにくい声と外見をしていた。
「逃したモノを取り返すのが無理なら、他の何かを達成させて埋め合わせに、ってできないの?」
「訓練生を正規の任務に参加させることがそうだと言うのかね。冗談じゃない」
「偉そうに。じゃあどんな方法がいいのか言ってみろよ」
 ソファの方から浴びせられる非難に年若い姿の同胞が食ってかかった。
 当事者であるウィルは反論もできない。
 あの少年を今度こそ救う。その過程に携わる。できれば自らの手で。何度も思い描いたことがそう簡単に実現できないことは、誰より実感していると思っていた。
「君の教官はいろいろと考えているようだよ。多分、君が想像している以上に」
 仲裁を諦めたリーダーがウィルの方を向いて肩をすくめた。
「彼らが言う通り、君をこの街へ導いた『使命』は、本来なら訓練生に背負わせるには重すぎる内容だ。君が引き金を引いたからなのか、君の中に何かを見出したからなのかは分からない。とにかく、君の教官はなんとかしてそれを君に任せる『課題』に落とし込もうとしているはずなんだ」
「……はず、とは」
「我々は既に協力依頼や相談を何度か受けている。君が関与できる余地を作るために、様々なかたちを試みていることは間違いない。ただ、これは私の推測だけれど、上の許可がなかなか下りないのかもしれない」
 そうそれ、と同意する声がリーダーの背後から上がった。
 否定する声はなかった。
「折り合いがつかないだけで、教官は君をどう使いどう導くか、きちんと考えているらしい。我々からもいくつか提案を、たとえばこの拠点に君を迎え入れる案を出したけれど、それはできないとはっきり断られてしまった」
 でも今は、今ここでできることを。
 そう語りかけながら酒瓶を取り出したリーダーに、ウィルは否定も遠慮も言えなかった。