[ Chapter17「ゴールド・ケース」 - C ]

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「いい? バレンタインデーはみんなのものだから。チョコもらえない男はいるけど、何ももらっちゃいけない人はいないの。わかる?」
 昼休みの教室で依子が力説していた。視線の先では彼女とよく一緒にいる友達の一人が硬直している。人差し指を突きつけたときの様子は、まりあの目には別人のように映った。
「一人じゃ決められないっていうんだったら手伝うから。決めた、今度の日曜日、買いに行こう。当然みんなも来るよね?」
 依子に見つめられた女子生徒たちのうち、その場で辞退したのは先約があるという一人だけ。後にメールで不参加を表明した人もいた一方、後から巻き込まれた友達もいたらしい。
 そして日曜の朝、駅前には七人が集った。
 バレンタインデーを翌週に控えた週末の街は、様々な店にハートやお菓子の飾りが掲げられていた。まりあはそういった店を回るのかと思っていたが、依子は自身の地元を「たいしたことない」と一蹴し、駅へと突入していった。
 七人は電車二本を乗り継ぎ、大きな駅の隣に立つ大きなビルにやってきた。若者向けのファッションブランドがひしめく商業施設の一角、季節のイベントを開くスペースに、華やかなチョコレートの店が並んでいた。
「うわあ……こんなにたくさん……」
「ちょ、まりあちゃん、そこ驚くとこ? 超ウケるんだけど」
 依子は吹き出していたが、まりあ本人は気にならなかった。知らない店と読めないロゴはどれも輝いて見える。こういった催し物を見かけたことはあっても、目当てとして訪れるのは初めてだったのだ。
 他の友達は既にそれぞれ違った面持ちで店を巡り始めていた。浮いた話のない二人は自分の服を買うときのようにはしゃぎ、誰かを頭に思い浮かべている人はおしゃべりも忘れ真剣に、といった具合だ。
 中でも文化祭の後に級友とつきあい始めた幹子は、友達や店員に話しかけられても気づかないほど考え込んでいた。
「幼なじみなんだから、好みとかよく知ってるんじゃないの。何に悩んでるわけ?」
 そんなことを言う依子自身はというと、最初から目当ての品があったらしい。誰より早く会計を済ませ、その後は仲間の手助けや冷やかしに専念していた。しかし幹子が全く耳を貸さなかったので口出しを諦めると、売り場を一周してから、まりあの肩を叩いた。
「さっきから一歩も動いてないけど、買う気あるの?」
「い、いいえ、決してそういうつもりでは……」
「じゃあ行こう」
 話は決まったとばかりに背中を押され、まりあは転びそうになった足をなんとか踏み出した。まさに目の前にあった店が少し気になっていたことは言い出せなかった。
「相手は何が好きそうとかわかってる? ってゆーか誰に渡すつもり?」
「ええと……父に」
 まりあの正直な返答を聞いた依子は、あからさまにあきれた顔を作った。
「まあそうだよねー。毎年きっちり渡してそうなタイプだよねー。でもどう考えたってそうじゃないでしょ、ここは。優先順位トップは他にいるでしょ」
「え、堀内さん、何のお話かよくわかりません」
「そのペンダントの彼!」
 人差し指がまりあの胸元に向けられた。
 飛び跳ねた心臓を押さえるように両手を当ててから、まりあは話題の飛躍に気づいて聞き返した。すると依子は指と腕を伸ばしたまま答えた。
「最近ちょくちょくそれ触ってるじゃない。バレてないとでも思った?」
 返す言葉も吐息も出なかった。
 指摘された通りだったからではない。そもそも本人にそうしている自覚がなく、言われてからようやく、しかもぼんやりと思い出す程度だった。
 そして同時に、指摘とは全く違う人物のことを考えていたのだと、気づいてしまった。
「で、どうなの。好きな食べ物とか趣味とか。それか何が似合うってイメージでも何でも」
「あの、お気遣いありがとうございます。でも今は」
「義理チョコの心配なら後回しにしなさい。まさかクラスの男子にも一応配ろうなんて考えてないよね、あいつらのためにお金かけることないから。無視でいいから。……できない顔っぽいね、じゃあ駄菓子でいいよ駄菓子」
 会話を終わらせるための言葉を、依子の主張が容赦なく塗り潰していった。

「ねえ依子。そろそろ教えてほしいんだけど、何かあったの?」
 場所は変わって、隣の建物に入っているファミリーレストランの一角。テーブルを囲む友達から一斉に見つめられた依子は、顔を守るように両手で覆った。
 買い物を終えた七人は外へ出てすぐに有名チェーン店の看板を見つけ、広いテーブル席と人数分のドリンクバーを確保した。最初は各々のチョコレートが入った紙袋を見せ合うなどしていたが、依子が話に入ろうとしないことに幹子が気づき、水を向けたのだった。
「最近気になってたんだけど、あなたの態度とかやることとか、『らしくない』ことばかりじゃない?」
「らしくないって、そんなことないし。別にいいでしょ、悪いことはしてないんだから」
「悪いことじゃなくても、見てるこっちがモヤモヤするの。依子はいつでもいろいろ知ってて最新情報とか教えてくれるけど、みんなの本命チョコのこと気にするとか、口出してくるとか、そこまでお節介じゃなかったでしょ?」
 依子の顔がこわばった。
 仲間たちの目が期待の色に輝いた。
 追求が始まりそうな雰囲気の中、まりあ一人だけが、視線も心も沈んでいた。会話は聞こえているし、依子の親切の裏に意図があるならそれは気になる。しかし無理に話を引き出したいほどではなかったし、強く言える元気もなかった。
 視界の端、自身の膝の傍らに白い紙袋がある。その中に見える金色の化粧箱は父親への贈り物にしようと彼女は考えていた。だが依子がいなければ全く違うものを買っていただろう。そして。
(もう一つ、買ってしまいましたから……これは、修道院に送るべきなのでしょうか)
 大切な宝物の贈り主は今、いろいろな意味で遠い場所にいる。
 いつかもらったバラ園の絵はがきを思い出しながら顔を上げると、テーブル席の端に置かれたデザートのメニュー表が視界に入った。可愛らしいパフェの写真に見覚えがあった。
 同じクラスの男子生徒と二人、甘い空気とはほど遠い会話をしたのは、同じ看板を掲げた地元のファミレスだった。
(あのとき聞かれたこと。以前、沼田くんにお話ししたこと。本当は覚えています。でも、言えませんでした)
 誰かの作り話を信じた恥ずかしさはない。
 ありもしないことを語った後ろめたさはない。
 それなのに、ほんの少し振り返っただけで、心の奥に暗雲が立ちこめる。
(よくよく考えると、私があのように不思議な出来事を見聞きするようになったのは、このメダルを連れて東京へ来てからです。関係があるのかは、わかりませんが)
 青すぎる空を仰いだ。
 歩くように宙を舞う人を見た。
 消えた先輩の無事を祈った。
 幽霊になりかけた級友を助けた。
 そして。
『今日は見逃してやる。だが、ここで目撃した内容を断片でも他言したなら次はないと思え』
 白い仮面の奥に見えた満月の色の輝きも、昨晩のことのように覚えている。
 通り魔の現場で、その犯人に「あること」を問われ、回答を拒否した。そして宣告された。
『今夜の出来事の真相を知った者には誰であれ、貴様が払いのけた災いが代わりに降りかかるだろう』
 もしもその言葉が本気なら。
 恐ろしい力を持つとの話が事実なら。
 伝え聞いた都市伝説では、質問から逃げた者を執拗に追い回すのではなかったか。
(あのとき私がうかつに、少しでも話していたら。……ごめんなさい、西原くん。あなたを危険な目に遭わせたくなかったのです。だから何も言えませんでした)
 強く握りすぎた手指の痛みが、まりあを現実に引き戻した。
 気づけば胸元のメダルを着ている服ごと掴んでいた。其処までこのメダルにすがり、ずっと考え事をしていたら、依子に誤解されるのも無理はないかもしれない。そう考えると、自分自身の行動がなんだかおかしく思えてきた。
「わかった、言う! 言うからそれはやめて!」
 その依子が友達の追求に屈して小さく両手を挙げた。それから涙目のまま笑うまりあを見て、追求していた側と顔を見合わせた。
「あ、ごめんなさい。お話を続けてください」
「わかった。……で、依子の本当の狙いは何だったの」
「実は……」
 全員がそれぞれの本命とうまくいってくれれば、自分のライバルが一気に減ってくれる。
 そんなもくろみを口にした依子は、「自分の本命」の正体を白状するまで問い詰められることになった。