[ Chapter19「硝子の銃を持つ男」 - G ]

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「いや、しかし感謝もしてるんだけどな」
 軽やかに語りかけていた一真が、ほんのわずかな間だけウィルを見た。片手である仕草をして、その隙に振り抜かれた刃を避けてから、再び口を開く。
「二十年越しの再会がかなったのは、事情はどうあれ、お前さんがそうやって派手に暴れたからなんだろうよ。本当はたったの二十年でまたここに出してくれるなんてあり得ない。あいつら立派なことは言うけど、約束を素直に信じてる人間が一人いたところで顧みもしない連中だ」
 仮面の男とアロハの男との間で何かが起きていたらしい。恐らく彼らが最初に顔を合わせただろう、もう一つの作戦の現場で。
 しかしウィルがそのこと以上に引っかかりを覚えたのは、一真が見せたジェスチャーの意味だった。握り拳から親指と人差し指を立てた形は銃を表すのだろう。ではその指先が目の前にいる敵ではなく、ウィルでもなく、全く関係ない方角に向けられたのは何故か。
 示された方向には低層の雑居ビルがあるだけで、異変は見当たらない。
 念のため周辺の様子も確かめたが、敵の罠らしき予兆や新手の姿はなかった。
(……新手?)
 ウィルは少しだけ前の出来事を思い返した。
 少年の保護を決行したとき、逃げた少年を追っているとき、そこには味方だけでなく同じ姿を装った敵もいた。そいつらに足止めされたか追撃に忙しいか、他の同胞は誰一人この場所にたどり着けていないらしい。先ほど一真もそれらしいことを言っていた。
 偽者だらけなら、その中にウィルの姿をした邪魔者がいてもおかしくないのに、今のところ鉢合わせどころか目撃もしていない。敵が一人少ない。何故なのか。
 作戦の妨害に当たって半人前は頭数に入れていなかった。
 それとも。
(本当はどこかにいる。……どこに?)
 元同胞の着地直後を狙って一真が足払いを仕掛けた。だが、すくい上げたと思われた足で逆に向こうずねを蹴られ、バランスを崩して屋根の上をいくらか滑った。
 仰向けになった一真を目掛けて短剣が振り下ろされた。切っ先が立てた音は車体に物をぶつけた音に似ていたから、攻撃はかわされたようだった。
 両者が低い姿勢のまま視線を激突させる。
(あれほど精巧な複製がタイミング良く現れたなら、事前に情報を掴んで準備していた可能性が極めて高い。そんな連中が俺の存在も知っていて野放しにするだろうか?)
 自分の姿をした敵兵を想像することはたやすかった。鏡に映る影が実体を得たようなものだろう。服装は同胞たちと同じかもしれないし、こちらを真似てきたかもしれない。
 しかし、それが街灯の裏から現れいきなり殴りかかってくる展開はうまく想像できなかった。本来の持ち場からここまでの道のりで何度かそういった場面を目撃してきたのに、自分の場合は何かが違うような気がしてならないのだ。
 ではどうして姿を現さないのか。どこにいるのか。
 味方が倒してくれたのかもしれない。
 別の場所で仲間に加勢しているのかもしれない。
(仮に存在するとして、俺の姿で立ち回るとして、どう戦う? 得物は何だ?)
 ウィルは手元の短剣に視線を落とした。敵から手に入れた武器がここにある状態はとりあえず素手よりマシだが、使いこなせる自信は正直そんなになかった。
 自らの両手からピントを外せば、意識がその先に照準を合わせた。さっき落としてしまった拳銃の残骸があった。
 一真のささやかなジェスチャーの記憶が、原型を失った銃身に重なった。
(銃。そうだ、事前に情報を得ていたなら俺には銃を持たせるはずだ。こんな小さな武器ではない、教官から与えられたあれのような)
 日記帳に描かれた図画から文字通り飛び出してきた、あのシンプルで強靱な小銃を思い出す。あれが手元にあったなら、もっと遠くからでも堕天使を撃ち抜けただろう。
 全く同じものが敵の手に渡ることはないはずだが、似た性能の火器を用意する可能性はある。先頭に立って戦うのではなく仲間の援護に回るのであれば充分に有用な装置だ。
 しかも今なら、直接対決になっても、借りた銃を壊された本物より優位に立てる。
(あれを使うのに姿を見せる必要はない。この近くに潜んで、狙いをつければいい。俺だったらそうする。……さっきの合図はそういう意味か?)
 大小の住宅や雑居ビルに囲まれた空間には多くの高低差と隠れ場所があった。看板、バルコニー、屋上、塀の陰、割れた窓、ゴミ捨て場。休みなく目をこらしても怪しい人物や攻撃の兆候は見つからない。
 その間にも一真とサリエルの攻防が続いている。どちらも配送車の屋根から飛び降りようとはしていない。
 自分たちの姿を舞台上から見せつけるように。
 相手を討つべき立場を忘れてしまったように。
(この場で狙うとしたら誰か。俺なのか……いや、俺がそいつなら、敵として今の俺を潰すなら、俺自身を撃つとは限らない)
 戦闘に慣れているらしい天使を仕留めたなら、同胞には大きな痛手だ。
 軍勢に反旗を翻した元天使を撃ち抜いたなら、敵を突然失った方に油断が生まれる。
 どちらにしても半人前の無防備さはさらに増すことになるだろう。そんな悲観的な想像を覆そうと打開策を探し始めた矢先、ウィルの目があるものに吸い寄せられた。
 仮面の男がまとう白いコートが風圧で膨れ、両脚の大部分があらわになった。
 それはウィルがここまで懸命に追ってきた少年の脚に違いなかった。
(ああ、そうだった。俺の役目は)
 彼は短剣を持ったまま駐車場に駆け寄った。
 配送車の窓枠に指を掛け、地面を蹴った足でスライドドアを叩き、勢いをつけて屋根の上に登った。
(俺が一番失いたくないものは)
 慣れない武器を構え、二人の間を割るように飛び込んだ。
 驚いた顔と無表情の仮面が揃って訓練生の方を向いた直後、敵が攻撃に使っていない無防備な右腕を目掛けて、躍りかかった。
 何かが砕ける音を聞いた。
 背中に突き刺さった激痛が、ウィルの両手足から力を奪った。


 サイガは漂っていた。
 全身のほとんどが強いしびれに包まれていた。まぶたにも見えない何かが貼りついて、周囲を見ようにも薄目しか開けられない。
 体が重いのか軽いのかもよく分からない。
 沈んでいる途中なのか、浮かんでいるところなのか。
 水中より動きにくく、山頂より息苦しく、空気でも液体でもない何かが肺を握り潰そうとしてくる。どれが錯覚でどこまでが事実なのか。
(さっき……あの人に、出会った)
 まともに働かない頭が、今日一番強く心を揺さぶったことを、ぼんやりと思い出した。
 名前しか知らなかった人物が突然現れて、やけに親しく話しかけてきた。普通なら警戒するしかない。それなのにどうして受け入れ、しかも懐かしいなどと思ってしまったのか。
(……草薙、一真。……柏木さんの、友達)
 暗い視界の中央に、見慣れたバーのカウンターが浮かんだ。
 小さい頃、ランドセルを持っていたから小学生のときだろう。準備中の店へいつも通り遊びに行ったときのこと。下準備の手を止めてサイガの話を聞いていた柏木は、自身の思い出話を一つ聞かせてくれた。
 彼が高校生だった頃、同級生の陽介はその性格と行状の割に女子生徒の人気を集めていた。一人だけモテる友人に一泡吹かせようと考えた柏木は、同じ教室に居合わせた一真と手を組み、渾身のドッキリで陽介を悔しがらせたという。
 それからよく三人で遊ぶようになったと語る柏木に、サイガは「どんな人なの」と尋ねた。すると楽しそうに過去を見つめていた目が急に曇った。
『見せてあげたいけど、写真が一枚も残っていないんだ』
 意外な答えだと思ったことは覚えていた。
 何と返したかは思い出せなかった。
(あのとき……もっと、聞いておけば……)
 手の届かない時間の先を考えていたら、ふと、右手が動くことに気づいた。
 サイガはゆっくりと指の曲げ伸ばしを繰り返し、体表のしびれがそのあたりだけ和らいでいることを確かめた。
 それから腹の上に何かが乗ったような感覚をぼんやりと捉えた。右手をその位置に近づけて探ってみたが、重さのないものに触れるばかりで何も掴めなかった。
 狭い視界に入った右の手のひらは赤く染まっているように見えた。