[ Chapter20「気になる少年たちの事件簿」 - B ]

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 ちょっと、の定義は時と場合と人による。
 まりあはその場で話を聞くくらいなら大丈夫だろうと思ったために、「少しだけなら」時間を使ってもいい、と答えたつもりだった。
 ところが訊いた沼田は異なる受け取り方をしたようで、たちまち目を輝かせて「一緒に来て」と言い出した。しかも合図さえしないのに彼の仲間たちが周りを囲み、移動を始めたものだから、まりあも前に進むしかなくなってしまった。
 そうして押し流されるようにして着いたのは、体育館とプールの間に建つ部室棟の奥だった。簡素なドアには「ミステリー研究会」と手書きされた貼り紙がある。しかし演劇部の先輩からもらった部室棟の案内図では物置と書かれていた場所だった。
「まあ、話だけだから。入って入って」
 沼田が促す間に、先ほどの丸眼鏡の生徒がドアを開けてくれた。現二年生、来月からは三年生になる彼が同好会の会長で、メンバーは職員室に来ていた顔ぶれで全員だという。
 そして彼らの部室は、まりあが隣のドアとの間隔から思い浮かべた構造よりさらに狭かった。左右の壁に大きな棚が据え付けられ、そのほとんどが古ぼけた段ボール箱で埋まっている。中央に人が歩ける空間は確保されているが、メンバー五人が車座になれるほどの幅はなかった。
 部室のない同好会が物置を勝手に占領しているようにしか見えない。
「あの……沼田くん、ここは……」
「ミステリー研究会の拠点(ラボ)。あ、先に言っとくけど、正規の手段でゲットした学校公認の同好会室だから。誤解しないでね?」
 急に説明を挟んできた沼田も、先に部屋へ入って色褪せたクッションを引っ張り出す仲間たちも、振る舞いが堂々としていた。
 この級友が涼しい顔で嘘をつくタイプでないことをまりあは知っている。しかし心の片隅にはどうにも捨てきれない不安があった。具体的に何かを疑ってしまったわけではなく、あいまいな感覚にとどまっているのがどうにももどかしい。
 まりあがドア前からの一歩をためらう間に、研究会の面々は二列に並ぶ形で棚の間に座り込んでいた。クッションは入り口に最も近い空席に一つ置かれているだけ。来客用の椅子の代わりだろうか。
「とりあえず座ってよ。そこの廊下、隙間風キツいし」
「は、はい……」
 寒さへの配慮ではなく五人を待たせているという事実がまりあの背中を押した。
 入ってみると、至近距離まで迫ってくるような段ボール箱の列がやはり目を引いた。ドアの位置から見て手前の箱には様々な部活動の名がラベリングされている。しかし奥へ進むにつれ、何かの数字や日付、奇妙な英単語が手書きされたラベルが増えていた。
 確かにここは不思議な事件を探す人々が集まる場所らしい。
 そしてやはり物置でもあるらしい。
 クッションに膝を置く形で正座してから顔を上げると、何でもない筆跡や活字の集まりがこぞってまりあを見下ろしているように思えた。
「実はさあ」
 沼田が会長と目配せしてから語り出した。
「うち、そろそろ廃部の危機なんだよ。今の会長たちが卒業した後、まあ来年の今頃なんだけど、その時点で会員が五人以上いなかったら即解散なんだって」
「え、それは、つまり」
「あーごめん違う、雨宮さんに入ってほしいんじゃなくて。さっき入ってって言ったけどアレは別の意味で……何だっけ、まあいいや。そうそう、四月に来る新入生が欲しいわけ」
 来月になれば新年度が始まる。まりあたちは二年へ進級して、後輩となる新一年生が入学してくる。
 どこの学校でも新入部員集めは春の一大イベントだ。季花高校ではどれほどの規模で行われるのかをまりあはまだ知らないが、前にいた学校で耳にした切実な事情についてはここでも同じらしい。
 決められた数以上の生徒が所属していなければ、部や同好会として学校から認めてもらえない。活動場所も予算も得られなくなってしまう。
「……それは、なんといいますか、悲しいですね」
「分かる? 結構大変なんだよね。うちってこう見えても歴史だけは古くて、サッカー部より前からずっと続いてるっていうのが自慢なんだけど、それをオレらの代で潰したくないし。先輩たちが集めてきた大事な資料も守りたいし」
 沼田は棚に並ぶ手書きのラベルを流すように指した。
「資料、ですか?」
「昔の新聞とか、この街のお年寄りの皆さんを取材したときのノートとかが入っています」
 まりあが首をかしげると、一番奥に座る会長が説明を加えた。
「今はインターネットでいろんな情報を調べられますけど、こういうモノはなくなったらきっと、もう二度と手に入りません。そういう意味ではとても貴重な、街の歴史の一部なんです」
 他のメンバーがそれぞれ違うテンポでうなずいた。
 沼田は首を振る代わりに拳を握り、さらに語気を強めた。
「そう! 言い伝えとか都市伝説とか追ってるとだいたいイロモノ扱いだけど、こっちはいたってマジメにやってるわけ! で、それがいかにスゴくてヤバいことか、知らしめるためにオレらの手で、プロモーションムービーを作ることにしたってわけ!」
「ムービー……え、映画?」
「映画。短いやつだけどな。それを新入生歓迎会で流せばインパクトありまくりだろ?」
「あ、はい、皆さんの印象には残りそうですね……」
 夢を語る熱量に圧倒されつつ、まりあは職員室で耳にした会話を思い出した。
 非常階段。校舎の裏手にあって普段は施錠されているその場所を、彼らは恐らく撮影場所にしたかったのだろう。もし学年主任の先生にきちんと説明したとしても、とうてい許可してもらえそうにない話だった。
 それほど大胆な計画について、今ここで説明されているということは。
「でもな、正直オレらだけじゃ足りないんだよ、いろいろと。だからお願い、ちょっとだけでいいから、手伝って」
「わ、私でよいのでしょうか」
「女の子のチカラが必要なんだ。あ、でもカメラの前には出なくていいよ、顔出しってリスクあるし。演劇部に迷惑かかるし。声の出演だけでいいから」
「声の出演……」
「簡単に言うと全力の悲鳴が欲しい」
「悲鳴……」
 まりあは復唱するのがやっとだった。拒否も承諾も口から出てこなかった。
 協力を求める彼らの胸の内はよく分かる。入学直後の他に新メンバーを得るチャンスが少ないのはきっとどこの学校でも、どこの部活でも同じだろう。ゆえに新入生歓迎会の準備には気合いが入りやすい。演劇部もその日のために寸劇の稽古中だ。
 しかし、手を貸してもいいのか。そんな内容でいいのか。疑問を糧に膨らむ不安が、何故か依子の声でささやいた。
『優しいのはいいけど、こんな奴にまで合わせてやる必要ないからね?』
 過去に実際そう言われたのだが、忠告した側の気持ちもよく分かる。さすがに本物のミステリーは絡んでこないとしても、良い話に落とし穴がついてくることなど珍しくもない。
 しかし、困っている人たちが目の前にいる。
 引き受ける勇気も断る勇気も出せずにいると、突然、壁の向こうから轟音と揺れが飛び込んできた。
「地震!?」
「大地の怒り!?」
「秘密の地下基地で何かが起きた!?」
「いえ、今の震源は漫画部かと」
 慌てたのか雑な想像を口走ったメンバーを、会長が一声でなだめた。
「この隣に部室があるんですけど、どうせまた本を無理に積んで倒壊させたんでしょう」
 冷ややかな解説を聞きながら、まりあはもう一度棚を仰いだ。壁伝いの振動の影響か、小さな箱の位置が少しずれていたり、さっきより手前に飛び出したりしている。いずれも幸いなことに沼田たちの頭上へ落ちてくる気配はなかった。
 よく見ると、段ボール箱がない位置に顔を出している保管物もあった。まりあが首を大きくそらして棚の最上段を見上げてみると、雑誌の切り抜きらしきものが目についた。
「あの……そこの一番上にあるものも、何かの資料でしょうか」
「そこの一番上。あー、アレか。文化祭の展示用に調べた怪人ルシファーの資料かな」
 沼田の口からその単語が平然と語られた。
 雑誌記者に情報を提供したときの輝いた顔は、今この場では完全になりを潜めていた。
「……怪人」
 路上で出会った人物の姿がまりあの脳裏をかすめた。
 その残像が、彼女にあることを思い出させた。
「わかりました。協力のお話、謹んで承ります」
「えっ」「ホント」「いいの」「マジで」「なんと」
 メンバーの誰もが目を見開き、同時に違う言葉をこぼした。
 まりあは彼らを笑うことなく順に見て、こう続けた。
「その代わり、怪人ルシファーに関する資料をすべて、私に貸していただけませんか」
 狭い部屋が完全に静まりかえった。呼吸の音さえ止まったようだった。