[ Chapter20「気になる少年たちの事件簿」 - D ]

back  next  home


 コピー機から紙が一枚、また一枚、吐き出される。
 分厚い本を取り出してはページをめくり、再び伏せてスキャナに戻す。
 開始ボタンを押すと、硬貨が落ちる音がした。
(こんなことをしていてよいのでしょうか)
 夕暮れ時の図書館の片隅で、まりあは本を取ろうとした手を止めた。出力された紙が排紙トレイの上に着地したあと、しばらくしてコピー機が静かになった。
 山積みになった紙にはいずれも新聞記事の一部分が印刷されていた。まりあはその最後の一枚を見つめてから、コピー終了の操作をして本を取り出した。新聞の縮刷版として昨年九月の記事をまとめた書籍だった。
 本と紙の束を抱えて書架の間を歩きながら彼女は思う。
(やるべきことは、できることは、他にもあるはずなのに)
 数日前、彼女はミステリー研究会の拠点にしばらく放置されていた「怪人」の資料を見つけた。それを一式借りてきたのはその場で湧いた小さな興味からだった。読み進めるうちに資料の欠落に気づくと、そこにあるはずだった内容が気になり始めた。
(他にできること。できそうなこと……ああ、もう実行したことしか浮かびません)
 学校の予定は修了式と卒業式しか残っていない。
 通信教育の課題もすべて解いてしまった。
 演劇部員として新学期に向けた準備はあるが、一人でできることは限られる。
 最近予定に加わったプロモーションムービーの手伝いは、春休みに入ってから参加ということになっている。
 次に思いついたのは怪人の資料に出会う直前の関心事だった。級友の欠席の理由は結局誰も知らず、担任に聞いても「言われてみれば」と首をかしげられただけ。以前に聞いた本人の携帯番号へ電話をかけてみても、通信圏外との応答ばかりだった。
 家にいても学校に行っても、心のどこかに小骨が刺さったように痛むときがある。
 漠然とした思いが何なのか掴もうとしても、波のように引いてしまう。
(でも……ここで終わりにするのも、なんだか違う気がします)
 まりあは書架の林を抜け、閲覧用のテーブルの前で立ち止まった。端の席にお気に入りのトートバッグと筆記用具、そして借りてきた資料の一部が、席を外したときのまま置かれていた。
 椅子に座った彼女は、まず新聞記事のコピーを日付順に並べ、資料と関わりがありそうな見出しを見つけてはマーカーで囲った。それから記事と資料を見比べ、事実と都市伝説の接点を探した。
 白ずくめの怪人の話はこのニュータウンの近辺にのみ伝わっている、と沼田は話していた。昨年は週刊誌に写真付きで掲載された話だが、多くの読者にとってはあくまで一地域の変わった噂話に過ぎず、一部の物好きを除けばさほど騒がれなかった。
 資料に混ざっていた沼田のノートをめくると、ページの間に挟まれた名刺が現れた。端の企業ロゴも中央の氏名もまりあには覚えがあった。
(葛原さん。……そういえば取材を受けたとき、沼田くんが見せていたのは)
 資料をめくっていくと、多数の書き込みがされた白地図が出てきた。取材を受けたとき、沼田が喫茶店のテーブルに広げていたものだ。大きな模造紙は持ち運びが大変なので、今日は事前にコンビニで縮小コピーしたものを図書館へ持ち込んでいた。
 そこには地図だけでなく「調査結果」として表やグラフも貼り付けられている。卒業生や在校生へのアンケート結果らしい。しかし沼田は当時こんなことも言っていた。
『正直、雨宮さんの他にもいると思うんです、奴に出会っちゃった人。ホントはそれも調べてて、出没地点のマップなんかも作ってたけど、先生に怒られちゃって……』
 小森谷先生の怒りを買ったという、街で起きていた事件と怪人とを結びつける試み。新聞記事を集めていたのはそのためだろう。
 しかし縮刷版から得られるのは要点だけの小さな記事か、写真付きでも縮小とコピーで画質が落ちたものばかりだ。何が写っているのかよく分からない。とりあえず本文を読み、事件が起きた場所に着目して仕分けてみると、いくつかの町名が頻繁に出てきた。
 どこかで見たような気がする名前ばかりだった。
 端を揃えた紙の山を見比べ、まりあは首をひねった。
(同じ市内ですし、きっとこのニュータウンの中ですよね……年賀状でしょうか?)
 それから記事の日付にも注目してみたが、共通点や法則性のようなものは見つからなかった。内容は通り魔の他に交通事故などがあり、その被害者は意外にも成人男性が多く、高校生は次点。中学生以下はほとんどいなかった。
 学校でささやかれる噂の主人公が関わっているにしては、学校との結びつきが少ないような印象がある。
(ですが、私と沼田くんがあの人と出会ったときも、怪我をされたのは大人のかたでした)
 改めて記事を読んでみると、今度は記事同士のつながりが目にとまった。
《三日前にも近くの路上で――》
《いずれも半径一キロの範囲にあり――》
 見覚えがある町名は、記憶以外にもつながりを持っていたらしい。
 まりあは広げていた紙を一つの束にまとめ直して置くと、縮刷版の本だけ持って席を立った。
 貸し出し対象外の本を元の棚に戻すまでは迷わずにできた。しかし次に知りたい情報が書架のどこに隠れているかを知らない。街の最新の情報が詳しく分かる地図を求め、館内の地図をなぞっては通路を歩き、最後には貸出カウンターの職員の知恵を借りた。
 そして行き着いた書架の上、まりあの頭より高い最上段の棚に、目当ての本があった。
「どうしましょう……」
 背伸びをしてめいっぱい手を伸ばしても、棚板に指が引っかかっただけだった。ヒントは見えているのにこのままではたどり着けない。
 まりあは左右の通路を見回し、助けになりそうな道具を探した。先ほどコピー機を借りたとき近くに脚立を見かけた覚えはあったが、今は近くにないようだった。
 書架の裏へ回って隣の通路をのぞいてみると、棚一段分くらいの小さな踏み台を見つけた。しかしそれは誰かの手に取られて運ばれるところだった。意気揚々としているところを呼び止めるわけにもいかず、声を呑み込んで見送るしかできなかった。
(他にあったでしょうか……)
 喉につかえた思いをため息に変えながら、まりあは書架の前に引き返した。
 調べたい本の前に人がいた。最上段に手どころか顔も届きそうな長身の男が、ついさっきまでまりあが悩んでいた場所に、いつの間にか立っていた。
「あっ……柳さん。こんにちは」
 級友だと気づいたまりあが声をかけると、重孝は首から上だけの会釈を返した。
 多くの人が出入りする場所で知り合いに出会えた。それだけで彼女の心は少し落ち着いた。しかもちょっとした思いつきまで頭に浮かんだ。
「すみませんが、ひとつお願いをしてもよろしいでしょうか」
 急に問われた重孝は小さく首をかしげた。
「その棚の、一番上にある本を取っていただけませんか。私の手では届かなくて」
 まりあは棚から二歩分下がった位置で本を見上げ、目当ての固有名詞が入った背表紙を読み上げた。すると書名を言い終わらないうちに、細く長い手が伸ばされ、その本を音もなく抜き取った。
「ありがとうございます。助かりました」
 本を受け取ったまりあが頭を下げても、重孝は黙ったまま彼女を見下ろすだけだった。
 まりあは気持ち早足の動きでテーブル席へ戻り、無事確保した本を広げた。ニュータウンの中でも確実に覚えている町名を手がかりにして行き着いたページは、季花高校の近辺を切り取った地図だった。
(やっぱり! さっきの記事にあった場所、学校の近くでした)
 記事の束を取って再び手元に置き、沼田たちの白地図のコピーも取り出して、街の地図と比較していく。白地図の学校周辺の余白にマーカーで印をつけてみると、校舎から見て南西の地域にばかり印が増えていった。
 気になった記述が正しかったことに安堵すると、今度は沼田たちの資料になかった部分が新たな引っかかりに加わった。まりあと沼田自身が関わった、連続通り魔の報道では最後にあたる事件も、マーカーの印が集中しているのと同じ地域だった。
 当時の記事を探しに行こうと書架へ振り向いたところで、まりあの思考が止まった。
 いつからか彼女の真後ろに重孝が立っていた。
「や……柳さん?」
「終わり?」
 消え入りそうな声だったが、静かな図書館では問題なく聞き取れた。何のことかとまりあが問いかける前に、重孝が彼女の手元を指した。
「……さっきの地図、ですか?」
 彼は首を横に振った。そして、
「調べ物」
 地図ではなく、テーブルに広げられた借り物の資料を、指先で再度示した。