「まずはあの事故の話から始めようか。あれは今から十年前、八月末のことだったな」
二十一世紀初頭、ニューヨークに突如出現した無の空間――グラウンドゼロ。
悲劇の舞台となった現場がようやくその生々しい傷跡を拭い、封鎖の内側で新たな一歩を踏み出していた頃。
その地の上空で、ある集団とその敵が交戦していた。
細い月が太陽の後を追って早くに沈み、暗闇を曇天が覆う夜。
地上の人々がいくら見上げても、彼らが散らす火花は目に映らない。
「御覧なさい。貴方は今、完全に包囲されているのですよ」
銀の甲冑を着込み、純白の翼を背にまとった戦士のひとりが、厳かに告げた。
その身は宙に浮いている。高さは工事現場を囲むビル群の屋上に並ぶ程度。手には長銃に似た筒状の武器を携え、同じ装束の戦士たちとともに、球形の隊列を形成して空中の一点を囲んでいた。
彼らはつい先程まで周辺のビルの陰に身を潜めていた。そして指揮官の合図によって一斉に飛び立ち、空地に降りようとしていた敵を取り囲んだのだ。
「先を急いでいる。用件があるなら今すぐこの場で言え」
足止めされた敵は一名。その出で立ちは白銀の戦士たちとよく似ていたが、防具は光を失って錆びつき、広げた翼は夜景の中でも輝かない漆黒。武器は左手に握られた短剣のみ。
一見して形勢は明らか、と思えた。
「それでも勿体をつけるならば、力ずくでも通してもらう」
「待て……しまった! そいつの目を見るな!」
包囲網の指揮官が叫んだ時、黒き翼の人物は白銀の戦士のひとりに狙いを定め、たちまち至近距離まで迫っていた。
黄金色の瞳に映った標的の顔が苦悶に歪む。視線が重なっただけでその戦士は身動きがとれなくなり、持っていた武器は短剣によって叩き落とされた。
すぐさま他の戦士たちが動き出した。一度隊列を崩し、より密集した陣形を組み直そうとしたが、不幸な仲間が蹴り飛ばされたことで隊列に風穴が空いた。
「逃すか!」
白銀の檻から飛び出した黒い影に追いすがるように、戦士たちの武器から次々と光が放たれた。矢のように、あるいは弾丸のように。
降り注いだ光弾の雨は目標を逃し、地表に届くこともなく、夜の空気に溶けていった。
白き翼の戦士たちは暗闇の破片に紛れたはずの敵を探した。しかし何かを見つけ出す前に、彼らは地表のある一点に目を奪われた。
深夜のマンハッタン。
まだ眠りにつかない街の一角、交差点の隅から、大量の黒煙が上がっている。
人々が悲鳴を上げ、群がり、あるいは逃げ出す。通報を受けた警察と消防の車両が続々と集まってくる。
ひしめく熱気の中心で、何かが、何かを叫んでいる。
惨状に見入っていた彼らは、束の間、己の役目を忘れた。
取り逃した敵の姿を見失った。
光の矢の一発が黒翼の片側を射抜いた瞬間を見落とした。
眩しく騒々しい世界の中心へ。
命を飲み込み燃え盛るその場所へ。
静かに落ちていく影があったことを、まだ、誰も知らない。