12月24日。
ある祝祭の「前日」だからという奇妙な理由で、街中が浮き足立つ日。
たとえその祝祭の意味を知らなくても、とりあえずケーキなんか買って帰る日。
忘れそうで忘れなさそうで、やっぱり忘れがちなことだけど、決して祝日ではない。カレンダーの数字はたいてい黒、つまり平日。
子どもなら学校の終業式があるか、もう終わってて冬休みに入ってる。一部の不運な学生はその日に期末試験が入ったりする。そしてほとんどの社会人はいつも通りに働く日。

あくまでも、いつも通りの日々の一部にすぎない。
私もそう。普段通りに家を出て、いつもの格好で仕事をするだけだ。


「1万円お預かりいたしましたので、お釣りが7千と……375円になります。ありがとうございました」
重ねた紙幣と小銭をカウンター越しに手渡して、白い箱と一緒に運ばれていくのを見送る。
両手に提げた買い物袋から何となく今日の献立を想像しながら、ガラス越しに商品をじっと見つめる次のお客さんに声をかける。
「ご注文がお決まりでしたらどうぞ」
「ショートケーキ3つください」
無言のまま一瞬だけこっちを見たその人の隣、私が見ていなかった方向から指名が入る。お持ち帰りですか、確認してから箱を取り出して、ケーキを互い違いに並べていった。
ガラスケースの中からイチゴが消えたのはほんの十数秒。すぐに店の奥から白いケーキを満載したトレーが運ばれてきて、空のトレーと入れ替わる。
代金を受け取ったらまた次、さらに次と注文を伝票に書き入れていく。
後ろから焼けたスポンジケーキの匂い。頭は慣れてきたけどお腹がおとなしくしてくれない、そういえばと時計を見れば夕食時はとっくに過ぎていて、いつものことと言い聞かせているうちに手が止まった。
いつの間にか注文待ちっぽいお客さんが誰もいなかった。
急にボリュームを上げたように、店内BGMが耳に飛び込んでくる。この時期だけやたらとあちこちで流れる曲のメロディは知ってるけど口ずさめるほどには覚えてない。
何が残ってるかなと思ってガラスケースの方を見て、一瞬「ひっ」とか言ってしまった。多分、私自身にだけ聞こえてたと思う。

ガラスの前にしゃがみ込んで無言でケーキを見つめる人がいた。

別に影が薄かったわけじゃない。何分前だか忘れたけど確かに声をかけた覚えがある。でもその後に10回はレジの引き出しを開けたはずで、つまりその間ずっとそこにいたってこと?
一応いつもの営業スマイルで、その人が動くか口を開くかするのを待ってみた。
まだ閉店時間は先だから急かす理由はないし、他に人がいない今、邪魔になってるわけでもない。
それに、私も昔、同じようなことやったことあるし。


去年のこの日のことをふっと思い出す。
あの頃の私とあの人は、ちょうど店先の窓に貼りつけてある飾りのように、透明できらきらしていた。
何が特別なのかもよく分からないまま、雪が降るほどの寒さも忘れて、ただはしゃいでいた。

友達の家でパーティをすることになって、せっかくだから何か持ってこうってことで店に立ち寄ったはいいけど、何を買うかなかなか決められない。
いろんなケーキに目移りする私に、あの人は「さっさと決めろよ」って苦笑いしながら言って、それでもちゃんと待っててくれたっけ。
悩んだ末に決めたケーキを持って行ったら、呼んでくれた友達の手作りケーキが待っていた。
私が最後まで迷って結局やめた方がまさか出てくるとは思わなくて、一瞬だけ寒気がしたけどその後思いっきり笑ったんだ。
そうだ、みんなで笑ったんだ。

あの頃は何気ないことが楽しくて、おかしくて、幸せだった。
その日は間違いなく特別な日で、少なくともそう思ってて、そんな日にしようと思ってた。


「……あの……すみません」
ガラスケースの向こうから聞こえたか細い一言で、意識が現在に帰ってきた。
「あ、はいっ」
あわてて答えたら声が裏返った。何やってるの落ち着いて、声に出さずに自分をなだめてから続きを聞き直した。
持ち帰り用の箱にケーキを並べている途中、プレゼント用にしてくださいって言われた。
余計に去年が懐かしくなって、ちょっと吹き出しそうになったのをなんとか我慢してリボンをかけて。
「ありがとうございました!」
ずっと悩んでたせいか微妙に未練を引きずる目線もあったけど、最後には笑顔で自動ドアをくぐっていくそのお客さんを、私は今日一番の笑顔で見送った。
揺れる赤いリボンが見えなくなる前に、また次のお客さんが入ってきた。
「いらっしゃいま……」
笑顔が固まった理由は自分でも一瞬分からなかった。


あの人は今どうしているだろう、と考えたことは、なかった。
きっと元気でやっているくらいにしか思ってなかったから。

店員としての言葉以外は何も出てこなかった。
きれいにデコレーションされたホールケーキを誰と食べるかなんて疑問も、そのときは思いつきもしなかった。

ただ胸の鼓動が、BGMを打ち消すくらい強くて。


どこか息の詰まった感じがやっと落ち着いてきたのは、店じまいの時間を過ぎて後片付けを終えた頃だった。

帰り支度を済ませて外に出ると、中途半端な曇り空の下で冷たい風が吹いていた。雪どころか雨にもなりそうにない。
いつも通りに見えてやっぱりどこか違う、静かな空気に包まれている街を、サラリーマン風の人が駆け足で通り過ぎていく。
今の人にも早く会いたい誰かがいるのかな。そんなことを思った。

そんな私の隣にはケーキの箱を持って、同じ早さで歩く人がいる。

意味が分からなくても、本当は祝う必要なんてなくても、やっぱり今日は特別な日だった。
特別な日になった。
 


構想執筆合計1日。あえて固有名詞を使わずに書いてみた。
しかも、季節はずれの時期に。(注:この話は2009年2月に書いて発表したものです)