第3話 〜竜〜


 朝の教室はいつも騒がしい。大勢の生徒がクラスに関係なく出入りし、それぞれの話題を好き勝手に話している。それらすべての声が混ざり合うと、どこか暖かみのあるにぎやかさとして聞こえてくる。
 ティオは遅刻すれすれの時間に教室に滑り込んだ。級友達の作り出すざわめきが、彼の心をほっとさせる。いつもこの時間に来られれば文句はないが、そうもいかない。彼は遅刻だと味わえないこの雰囲気が何となく好きだった。
 変わらない日常。
 その平凡さが実はとてもありがたいことだというのに気づいたのは、1週間前のことだった。奇妙な花畑に寄り道させられた上、自分が起きたはずの時間より前に学校に着いてしまった。あの時は人も少なく教室は静かだったし、自分がそこにいることをみんなに珍しがられたので落ち着いた感じがしなかった。
 鞄を開けてペンケースを取り出そうとすると、手に違う物が触れた。あの時受け取った卵が、箱に入ったまま鞄の一部を占領している。これを預けた青年リゲルは、卵を狙う悪い奴がいるとか言っていた。だがその日の昼に起こった一件以来、妙な事件は起こらなかった。
(それでいいんだ……厄介事はない方がいい。それにあいつ、何が言いたいんだか全然分からない。)
 散々「不思議」を見てきたにもかかわらず、ティオはリゲルの言葉を受け入れようとしていなかった。できれば一連の出来事も夢だと思って忘れてしまいたかった。
 しかし、この世に存在するわけがないと思っていた魔法を自分が使ったという──それもかなり鮮明な──記憶はそう簡単に消えるはずがなかった。
 逃げられないことは分かっているのに、それでも逃げたくなる。恐ろしい矛盾。
「ティオ、大丈夫?」
 レイが声をかけてくるのもいつものこと。それもティオが置かれた状況を理解しているだけに余計に心強い、そしてありがたい存在だった。
「大丈夫……だけど」
「今は悩んでたってしょうがないよ」
「そうだね」
「だったら早く職員室に行ってきなよ」
「……え?」
「数学のプリント、まだ出してないんだって? 早く行かないと減点だよ」
「………………」
 ティオは鞄から宿題のプリントを取り出すと、急いで教室を出ていった。レイは最初の授業の準備をしながら、親友の後ろ姿を見送った。


 同じ頃、1人の老人が川岸を走っていた。
 毎朝のジョギングが彼の日課である。今日もいつものジャージ姿でお決まりのコースを走り、すれ違う人と挨拶を交わし、川岸にさしかかったところだった。車も通る堤防の上の道ではなく雑草と石で覆われた岸をあえてコースに選び、老人は毎朝川と並んで走っていた。
「…………?」
 普段ここでは誰とも顔を会わさないはずなのだが、今日は人がいた。すべてがいつも通りにはいかない。でもそれが面白い。
「おはようございます。いい天気ですね」
 その人──白いスーツを着た若い女性──は川を眺めていたが、老人の足音が聞こえたのか振り返ってにっこりと笑った。背格好から考えるとだいたい20代前半。腰のあたりまで伸びた髪は明るいオレンジ色で、軽くウェーブがかかっている。
「……この近くにお住まいの方ですか?」
 両耳につけられた金色のピアスが、朝日の光を反射してまぶしく光る。川の水面も同じように輝いていた。いつ見ても流れは美しく、ずっと眺めていても少しも飽きない。
「もちろんだとも」
 問いかけに対し、老人は得意げに答えた。
「わしは子供の頃からこの川を見とる。川の流れは昔も今も変わらん……じゃが他は皆変わった」
「変わったといいますと?」
「昔はあんなに家はなかったし……一時はこの土手もコンクリートで覆われとった。最近になってようやく元の土に戻したがな」
 女性はハンドバッグから手帳とボールペンを出し、うなずきながらメモを取りはじめた。
「それだけじゃない。何年か前までは近くにでっかい工場があってね、川に汚れた水を流していた……水は黒く濁って、ひどく臭った。魚もいなくなった。でもこの町の人達が必死になってきれいな川を取り戻そうとしたからね……それで今の姿になったんじゃよ」
「水もこんなに透明できれい。そんなことがあったなんて思えませんね」
「そうだねぇ……あとはあれが片づけばなぁ」
 水を片手ですくい上げて眺める女性の横で、老人は川の中の1点を指した。
「あそこに空き缶が浮いてるじゃろう。心ない人はああやって平気で捨てて行く。わしも時々掃除を手伝っておるが一向に減らん」
 女性は手帳の上にペンを走らせている。老人は足下に落ちていた袋を拾った。その表情はどこか寂しそうだ。
 空の光が弱くなった。白い雲が太陽を隠していく。
「この川には神様が住んでおる、だからイタズラも過ぎるとばちが当たる……わしの小さい頃はそう言われていたもんじゃ。でもこんな川だと、ばちどころかもういなくなってるかもしれんな……」
「神様ねぇ……」
 女性は手帳を閉じてバッグに戻すと、深々と一礼した。
「お話ありがとうございました。すみません、引き留めてしまって」
「いいんじゃよ、少しでもお役に立てたんなら」
「どうも……」
 老人はジョギングを再開し、みるみる遠ざかっていった。
「とても参考になったわ、神様を怒らせるとばちが当たる……いい話じゃない」
 残された女性はハンドバッグから金色のメダルを1枚取り出し、何かつぶやいてから川へ放り投げた。メダルは川の真ん中あたりに落ち、そのまま水底に沈んでいった。
 彼女は自分自身に言い聞かせた。今のはポイ捨てじゃない。お賽銭よ、お賽銭……


 「川に竜がいるんだって」
 数日後、学校にそんな噂が流れた。夕方、廊下を歩いていたレイは数人の生徒が話しているのを見つけ、さりげなく立ち止まって聞き耳を立てた。
「そんなの嘘に決まってるじゃない」
「普通そう思うよね、でも本当なんだって。川を泳いでるのを見た人が何人もいるって話……」
「何かの見間違いだろ、竜なんているわけないのに」
「じゃあどう説明するんだよ。金色で、光ってて、透き通ってて、川をさかのぼって……」
「魚じゃない?」
 本人の前で話を切り出すことはないものの、レイは実はティオ以上に敵の存在を気にかけていた。事件に巻き込まれたティオが現実を拒否しようとするのとは対照的だった。
 もしそのことをティオが知ったら、「じゃあレイが卵を預かってよ」と言い出すことだろう。しかし彼は「これはティオにしかできないんだ」とリゲルから言われていたので、それなら自分はできる限りのサポートをしようと心に決めていた。今のような情報収集もその1つだ。
(「常識では考えられないこと」……敵の関係者っていう可能性は高いな。でもどうして直接ここに来ないんだろう?)
「あ、レイ。ちょうどいいところに」
 教室に入ると、そのティオに呼び止められた。
「ここの問題を教えて欲しいんだけど」
「また課題?」
「この前の小テスト、不合格だったから」
 ティオが苦笑いを浮かべながら問題を差し出すと、即座に返事が来た。
「それはね……ここがこうで……」
 こういうときに頭のいい友達がいると助かる。レイは昔から成績が良くて、教え方も上手い。テストの順位で下から数えた方が明らかに早いティオは、分からないことがあるとよく彼に頼っていた。
「……分かった?」
「なんとなくは」
「なんとなくじゃ困るんだけど……本当に大丈夫? 君には他に大事な仕事があるのに、勉強と両立できる?」
「大事な仕事……」
 ティオは全く思い当たらない様子で首をかしげた。
「……卵を守れって言われたじゃないか。川に竜がいるって話を聞いたんだ。そのうち会うかもしれないから気をつけてよ」
「あ、そういえばそんなこともあったね」
 とぼけているのか忘れているのか、ティオの口調は実にのんびりとしていた。
 レイはため息をついた。返り討ちにしたとはいえ、ティオは怪物に一度殺されかけている。少しは不安にならないのか。この調子だと、命がいくつあっても足りないかもしれない。
「よし、終わった」
 ティオが課題を片づけ始めた。
「あとは先生に出すだけ……で、どうしたの、レイ?」
「別に……先帰っていい?」


 10分後。ティオは一番上に「再提出」の印が付けられた課題を握りしめ、不平を言いながら家路についた。今日は「買い物」という仕事があるため途中で友達と別れ、公園を通らず商店街の方へ歩いていた。
「おや、学校帰りに来るなんて珍しいねぇ」
 八百屋の店先で店主に声をかけられた。母親がティオに家事全般を教え、昔勤めていた会社に復帰したのが2年前。それ以来家事はすべて──もちろん料理も息子の担当になり、買い物に来ているうちに店の人たちともすっかり仲良くなってしまったのだった。
「今日はちょっと……切らしてるものがあって」
「そうかい。勉強ちゃんとやってる?」
「はい……」
 威勢のいい声に押され、作り笑いを浮かべていたティオだったが、買い物を終えるやいなや頭の中はまた先生に対する不満に切り替わっていた。にぎやかな商店街を抜けると前方に大きな川が見えてくる。ティオはそこに、先に帰ったはずの級友が立っているのを見つけた。
「あれ、どうしたの? こんなところで」
「どうしたの?じゃないよ! ぼーっとしてていいの、ティオ、あれ見て」
「え?」
 川は前日の雨のおかげで増水している。激しい流れの中で、赤い影が浮き沈みしていた。
(……まさか!?)


 危機感の全くないティオにあきれて先に帰ったレイは、数人の友達と共に川岸の堤防を歩いていた。竜の噂は彼らの耳にも入っていたので、自然にその話になった。
「そういえば、この先の橋で見た人が多いんだって」
 レイの家は川の向こう岸にあるので、彼は嫌でも橋を渡らないと帰れない。本当に竜が出て橋を壊さないといいけど、などと言っているうちに彼らは問題の場所に着いた。最近修理されたばかりなので耐久性はあるだろう。でも未知の生物が(いるとすれば)相手なのだから、子供達が橋を渡りきるまで無事だという確率は100%ではない。
「おい、何やってんだよ」
「別に」
 友達の1人が腕を振ると、1秒後には川の水面に波紋ができた。他の子供達もそれを見て、足下の小石を次々川に投げ入れ始めた。
 橋の上から眺める川は、岸から見るのとはまた違う雰囲気を持っている。水面の小さな波に石を投げたときの波がぶつかり、不思議な形の新しい波を作り出す。魚が驚いて逃げる。橋から身を乗り出す子供達の姿がゆがんで水に映る……
 石をどこまで遠くに投げられるか。単純な競争に夢中になっている子供達をよそに、レイは川の反対側を見つめていた。おかしいものは何もない。噂は噂、気にする必要はなかったようだ。
「もう日も暮れるし、そろそろ帰ろう?」
 レイはまだゲームを続ける友達に呼びかけた。
「なーに先生みたいなこと言ってんだよ。俺達もう小学生じゃないんだし」
「でも……」
 近くに行ってもう一度呼び止めようとしたレイの足に、冷たい物が触れた。何かが水に落ちるような音を聞いた子供達が振り返った時には、後ろに立っていたはずのクラスメートが消えていた。


 周囲の制止を振り切り、ティオは川岸に近づいた。鞄をその辺に放り出して川に飛び込もうとしたが、次の瞬間思い直してやめた。中には大事な卵が入っている。自分が目を離せば、その間に盗まれるかもしれない。でもこれを持ったまま行けば鞄の中身が水を吸ってしまい、重しになって川底に沈むだけ。どちらにしても敵に奪われる可能性があるのだ。
(どうすればいいんだろう……?)
 このまま見ているだけなんてできない。目の前で溺れている親友を、卵を守りつつ助ける方法はないのか。迷っているティオの背後で、野次馬が少しずつ増えていた。そのうち川に入ってレイを助けようとする人も出てくるだろう。もし話に聞いた竜が絡んでいるとすれば、間違いなくその人も巻き添えになってしまう。
 ティオは鞄を開け、卵が入った宝箱を取り出した。そして箱だけを左腕で抱え、川に向けて走った。
「誰か飛び込んだぞ!」
 救急車を呼んだ人がいたらしい。サイレンの音が近づいてきた。
(来たわね、灯火……計算通りだわ)
 見ているだけの人の中に、オレンジの髪の女が混ざっていた。女はハンドバッグから携帯電話を取り出し、メールを打ち始めた。
 子供の誘導に成功。10分後には2人とも死亡する見込み。


 水の中で、右手の指輪が青く光っている。
 この前の事件で炎を呼び出したあの指輪のことを、ティオは忘れていたわけではなかった。使いたいと願う魔法(今はそう呼ぶしかない)を想像する。その単純で楽な手段をうまく使い、今の彼は水中で息をしていた。
 ティオは水流に押されながら沈み続け、岸から50メートルほど離れたところで川底に立った。見上げると、水面近くがきらきら光る中に太く濁った色の「流れ」があり、レイはそれとほとんど一体化した状態で下流へ運ばれていた。泥に似た色の水流──それが竜の「本体」なのだろう。
 箱を左腕でしっかりと抱え、竜を追った。ちょうど日が落ちた後の薄暗い道を、追い風を受けて走るような感じで進む。違う点は水の抵抗が強くて動きづらいことくらいだ。しばらくすると、前方に小さく光る物が見えてきた。
(あれが頭かな……?)
 邪魔者の存在に気づいたのだろう、竜が頭を上流の方角へ向けた。金色の鋭い目と、眉間の部分に埋め込まれた一枚のメダル。それが「頭部」らしい。
(えーと……まずレイを助けるのが先だよね……)
 レイは竜の前足(と思われる部分)に掴まれているように見えた。力尽きたのか息をしている様子がなく、ぐったりとしている。時間をかけすぎると助からないかもしれない。ティオの心に不安が宿る。
 竜が吼えた。突然追い風がやみ、ティオは立ち止まった。増水した川の水深は2メートルそこそこ。視界をもたらす太陽の光はさっきより弱まっている。短時間で決着をつけるのは難しそうだ。
(水を止めてどうするつもりなんだろう?)
 そう考える間もなく、竜の頭がティオに向かってきた。大きく口を開け、触れたら噛みついてきそうな勢いだ。ティオは突撃を避けようと動いて初めて、竜の胴体が自分を囲むように円を描いていることに気がついた。周囲の流れから切り離された空間は、少しずつ狭くなっている。
(どうしよう、ちょっと不利かも……やっぱり、こいつを倒さないと助けられないのかな)
 そう思うしかなさそうだ。半径1メートルの渦の中をぐるぐると回る赤い影。それを激しい流れから引き剥がすのは、ほとんど無謀に等しい。
 ティオは竜に攻撃を仕掛けることにした。しかし問題はその方法。水でできた体に火は効かないから、また新しい魔法を編み出さないといけないのだ。
(水は電気を通すって言うけど、それじゃ光るし目立ち過ぎるし……)
 突進してくる頭をよけながら考えるが、どうも良い案が浮かばない。後で騒がれると面倒だから、水面上の見物人に見られることなく効率的に敵を倒す方法が欲しい。でもそんなのあるの?
 考えている間に、渦の幅はさっきの半分になっていた。このままだと自分まで飲み込まれてしまう。
(……逃げるのも無理……だったら……!)
 こうなるともう人の目を気にしている暇はない。
 ティオは右腕を竜の真正面に伸ばした。
 水流と共に押し流されてきた金色のメダルが手の中に収まる。水は形がない。牙のような物が見えてもそれは幻。おかげで腕を噛みちぎられるようなことはなかったが───突然、竜が左右に激しく揺れながら急上昇を始めた。
 ティオの体はメダルと共に水面を突き破り、そのまま空高く放り投げられた。岸から見たその姿は、水族館のイルカショーを連想させるものだった。
「うわぁ───っ!!」
 ……近くで見ると、悲鳴を上げる姿はイルカよりはるかに無様だったが。
(びっくりした……待てよ、メダルに触れただけであんなに嫌がった。ってことは……弱点はそこか!)
 放物線の頂点に達した瞬間の、ふとした思いつき。それは安易な考えだったが、彼にとっては確信だった。指輪が白く光る。はっきりと、言葉が浮かぶ。
<エアリーブレード>
 指輪が示した言葉と同時に、ティオは手刀を振り下ろした。
 かき乱された空気の流れが白い光に縁取られ、メダルを真っ二つに割る様子がはっきりと見えた。
 竜の姿が崩れ、川の流れに溶けていく。同時にティオも重力に捕らえられ、水しぶきと共に再び水面下へ消えていった。


 「すごいじゃないか! 見直したよ」
 事情を何も知らない友達の、感心する声が聞こえる。
 じゃあ今まで何だと思ってたんだよ。普段ならそんな言葉を返すところだが、今のティオにそんな余裕はなかった。竜の胴体を真っ二つに裂いたこと、レイの腕をつかんで岸に泳ぎ着いたことは覚えている。幸い人々には「溺れた友達を陸に引き上げた」場面しか見られなかったようだ。
 胃が重い。魔法で酸素を補っていたので気づかなかったが、ティオは戦っている間に大量の水を飲んでいた。魚の1匹くらい飲み込んだかもしれない。それさえ分からないほど“救助”に集中していたわけなのだが、その間卵を一度も手放さなかったことには自分でも驚いていた。
 何にも勝る1つの言葉が、彼の頭の中を支配する。
「疲れた……」
 意識の戻らないレイを乗せた救急車が走り出した。
 ティオはしばらく休むからと言って友達を先に帰し、川岸に寝転がったまま箱を開けた。誰もいなくなったことを気配で感じてからゆっくりと起きあがると、水浸しの布をほどき、卵が割れていないか確認した。
「げっ……ヒビが……」
 “割れ物”だけに慎重に扱っていたつもりなのに、さっきの戦いでどこかぶつけたのか。冷静を装いながら怒るリゲルの姿が目に浮かぶ。
 しかし、心配する必要はなかった。何もしていないのに、少しずつヒビが広がっている。
「まさか……?」
 ティオはゆっくり体を起こした。
 中から力が加わっているのだろう、ヒビはだんだん大きくなり、やがてかけらが外側に押し出されて落ちた。中から強い光が漏れ出す。夕日がほとんど沈んであたりが薄暗くなっているにも関わらず、卵の周囲のものがはっきりと見える。
「まだ生きてたの……」
 遠くから一部始終を見ていた女にも、もちろんその光は見えた。空に向けて伸びる光の線が少しずつ太くなっていく。女は再び携帯電話を握った。
「灯火が卵からかえった……これより第2段階へ移行……」
 そんなことは知らないティオの手の中で、卵の殻が3分の2くらい崩れ落ちた。
 同時に光が弱まり、小さな塊が残る。
「これは……」
 手のひらに乗るくらい小さな子供──動かなければ人形に見える──が、薄い膜のような物をまとった姿で崩れた殻の中にうずくまっていた。大きな水色の瞳を一杯に開いてティオを見つめている。背中には、ガラスのように透き通った羽があった。
(……妖精……?)
「みゅ……」
 ティオは寒そうに震えている妖精の体を両手で囲って風を防いだ。指先が妖精の頬に触れると、妖精はうつむいて、蚊の鳴くような声をあげた。
 殻ごと妖精を箱に戻し、疲れ切った体に無理やり力を入れて立ち上がった。歩かないと家には帰れない。ゆっくり休んでから、この子を連れてレイのお見舞いに行こう。
 顔を上げると、堤防の上に車が1台止まっていた。父親の姿が窓越しに見えた。


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