「店長、表に飾ってあった鳥かごが盗まれました!」
「鳥かご?」
「ほら、あれですよ……この前、店長が持ってきた」
「あれか!!それでどんな奴が盗ってった、誰か見てないか!?」
「はい……でも頭にターバン巻いた後ろ姿しか見てません」


 店の前を通りかかってから逃げ去るまでの間、拓哉は良心というものをすっかり忘れていた。
 何かが狂い始めたのは、歌声を聞いたときだった。
 どこかか細く小さいけれど、故郷の島唄にも似た強い響きを持った歌。懐かしく、新鮮な歌。
 「それ」は鳥かごの中で声を張り上げていた。
 鳥じゃない。薄墨色の質素なドレスを着た、小さな少女。
 見たとたん、頭の中が真っ白になった。
 後は衝動に身を任せて、走った。
 鳥かごが揺れるのも構わず、周りも気にかけず、ただ風の流れに身を任せて。

「……はぁ、はぁ…………疲れた……」
 拓哉は川岸の土手に着くと、かごを置いて寝転がった。
 少女は歌うことも忘れ、かごの縁をつかんで外をじっと見ている。
「………………」
 寝返りを打った拓哉と、少女の目が合った。
 拓哉は笑った。
「………………。」
「………………?」
 少女もつられて笑ったが、表情が硬かった。

 さて。これからどうしたものか。
 なんにも考えていないことに気づいた。
 少女を外に逃がそうなどと思ったわけではない。
 家の中に置いて飾ったり、まして見世物にするつもりもない。
 それならどうしてここに連れてきたんだろう?

「………………」
 流れる雲を見ながら考えた。
 申し訳程度に生えている芝を風が揺らす。

 不意に、少女が歌い始めた。
 深く、遠く、力強く、心の底にまで響き渡る声で。
 拓哉は笑顔を保つことも忘れて歌に聴き入った。
 少女はどこか一点をじっと見つめながら、訴えかけるように歌った。

「いたぞ!あいつだ!」

 拓哉は反射的に立ち上がった。
 鳥かごのてっぺんをつかみ、走り去ろうとしてふと立ち止まる。
「……なぁ、どっか、行きたいとこある?」
「………………」
 少女はうつむき、震える手をおそるおそる持ち上げて、川の下流を指さした。
「そっか。じゃ、行こうか」
「……?」
「海。この先をずーっと行けば、海に出るから。よし、行こう」
 二手に分かれた追っ手が川の上流側と下流側からこちらに迫ってくる。
 拓哉は鳥かごを抱え直すと、ギリギリまで引きつけてから追っ手の脇をすり抜け、走った。
 堂々と言えるような目的なんて無い。
 ただ、とにかくがむしゃらに、走った。
 


7月末、鈴達に誘われて(期末真っ最中だというのに)行った陶展+島唄コンサートの場で演奏中に思いついた話。